0000 |
「夜分恐れ入ります」
という則武雅幸からの突然の電話を、僕は最初、いつものセールス(その頃多かったのは、駅前に完成した分譲マンションを勧めるもの。全戸完売していないらしく、担当者が必死だった)か何かだと思った。
「本城中学校三年六組で一緒だった、則武雅幸と申しますが」
向こうがそう名乗っても、相手の顔にモザイクがかかったままだった。
「臼井君とはいつ以来だっけ、成人式で見かけたような気もするけど」
「いや、俺、成人式の式典には出てないから」
「奥田先生の葬式には行った?」
「いや、連名で弔電だけ・・」
「たしか修学旅行の部屋は、臼井とは同室だったよな」
「そう、かな」
昔の同級生からの突然の電話は、7、8年に一度くらい、げっぷみたいにやってくるものだ。呼び出されてマルチに誘われるか、保険に加入しないかと勧められるか、電話だけで回りくどい話をする場合は、結局借金目的だったりする。
でも、則武は違った。
「やってもらえると、ほんっと助かる。これ、マジで」
二週間後の結婚披露宴でスピーチをしてもらえないかというのだった。場所は、高級ホテルだった。
「え、他にいるでしょ、親しい友達とか同僚とか」
と言いながら、祝儀は2万か、3万か、と検討し始めている僕に、則武は明解にこたえた。
「や、実は今回、二度目なもんで。いっぺん来た人呼ぶの悪いっしょ。でも、相手が初婚だからちゃんとやりたいってきかなくて」
急ごしらえのスピーチは、おおむね成功だったらしい。高砂席の新婦は熱心に頷いてくれたし、メイン料理の前だったせいもあるだろうが、拍手も盛大だった。
スピーチは卒業文集の則武の作文「高野山での校外学習」を実家からFAXで送ってもらって、それを元に作った原稿を読み上げただけだ。母親が気をまわして僕の作文も一緒に送って来たので、則武との思い出話として語った半分は、自分の作文の引用だったが、読み上げるとどちらも同じくらい他人事のようだったから、則武も気付かなかったんじゃないだろうか。
披露宴には数合わせ要員として借り出された同級生が他にも二人来ていた。中学時代の彼らのキャラははっきり思い出せないが、昔とのギャップ(お前変わったよなぁ、変わらないよなぁ、的な)を埋めずに済むので却って楽だった。
石田誠のことを覚えているか、という話題を振ったら、二人のうちの片方が「中三の時一緒のクラスだった」とこたえた。
「美術の寒川が担任だった時でさ、体育会系のわりに絵も上手かったんだよね、牛頭骨のデッサンとかめっちゃリアルでさ」
「え、まじで」
昔の固有名詞が出ると、いつの間にか当時のテンションになっていた。実際には、当時彼らとこんな親しげな口調では喋らなかったはずだが。
もうひとりの方が「そういえば」と言った。
「社会見学の時、石田がテンガロンハットをかぶってきたの知らないか?」
「ああ、あの、赤いやつ」
「やっぱそうだよな、臼井も覚えてたんだ。俺、あれは夢だったかもしんないと思ってたけど」
真冬以外は半袖シャツで通した石田が、集合場所に突然、真っ赤なテンガロンハットを被ってきたのだった。大人用らしく重そうだったが、似合っていたし、なにより唐突過ぎて誰も「何だよそれ」とツッコミを入れそびれたのだ。
「じゃ、あれは?生徒会長に立候補したやつの応援演説で、髪の毛逆立ててパンクスタイルで舞台に立って、ラブアンドピースって叫んだの」
「たまに、びっくりさせられたよな。たぶん、いい奴だったけど」
石田についての情報はそんなところで、現在については誰も知らなかった。
「知りたいんなら、一度パソコンで検索したら?自分検索とか初恋の人検索って結構やってるでしょ、みんな」
石田誠でのヒット件数は468件で、同名の別人を紹介する記事がいくつもあった。現在テレビ局プロデューサーをしているとか、あるいは数ヶ月前に個展を開催した中堅陶芸家だとか、ダンサー、市議会議員など、全国に様々な石田誠がいた。その中で地域をしぼっても、たとえばタウン誌の編集スタッフだとか、お仕事情報サイトの、某企業の求人募集で「先輩の声」としてインタビューにこたえている石田誠などは、リアルに「あいつかも」と思わせる情報だった。
それに比べて石野真夜では、本人のブログ以外は、ヒット数ゼロだった。ついでに自分の氏名で検索したら、「もうひとりの僕」は競艇選手だった。後藤さえらと入力して行き着くのは真夜のブログのみだった。
真夜のブログはその後も時々のぞいていたが、徐々に、後藤さえらに関する記述は減っていた。今さら「お前石田だろ」と指摘することはできず、こちらから何かコメントを書くこともなくなった。
則武の披露宴の翌週末、さえらから新しいメールアドレス通知を兼ねたメールが届いた。
どうもです。雑貨制作だけでは生活がきつくなってきたので、他にもアルバイトを探しているところです。(さ)
僕はすぐに返信した。
(さ)さま
どうもどうも。君ならどんな仕事をしても、やっていける能力を持っていると思う。でも、僕は君の作ったワイヤーオブジェやアクセサリー、独自の世界観があって、好きです。しんどいことがあったら、いつでも頼ってください。VISAカードで買い物などは自由にしてもらっていいよ。章文
その後昼食のために外出すると、とんかつ処の隣ではためく、携帯ショップの幟が目に入った。
帰宅してからすぐ、パソコンを起動させて、さえらへの二通目のメールを作成した。
さっき伝えるの忘れたんだけど、こないだ、則武の結婚式に呼ばれて行ってきたんだ。そこで、石田に会ったよ。ほら、前に話題に出た、あの石田。君のアドレスも教えてほしいというので伝えたから、もしかしたらメールが行くかも。勝手に教えてごめん。
それから6時間くらいおいて(薬の服用みたいだ)、僕は新規契約してきたばかりの携帯から、さえらにメールを送った。
おひさしぶりです。突然のメール失礼します。小学校と中学校で、なんどかクラスが一緒だった石田です。
こないだ臼井君に会って、後藤さんの誕生会に一緒に行った日の話しになって、なつかしくなって後藤さんに連絡したくなりました。臼井君がアドレスを知っているというので、頼み込んで教えてもらったわけであります。
うちの親は忙しかったせいか、誕生日は「これで好きなもの買っといで」とお金を渡されることが多くて。でも、一番欲しかったのって、きれいに包装されてリボンのかかったプレゼントだったんです。だから、後藤さんの誕生会は料理もおいしかったし、プレゼントを開ける時間も楽しくて、いまだにすごいいい思い出です。後藤さん、どうですか最近は。元気ですか? 石田誠
真夜のブログから一部を引用して作ったものだったし、石田を名乗ることへの罪悪感がなかったわけではないが、いざ送信してみると、妙な高揚感があった。
携帯に着信があったのは翌日だった。
石田君、メールをありがとう。お誕生日会のこと、よく覚えていてくださってびっくりしました。臼井君と一緒に来てくれたのでしたよね。私もなんとか元気でやっています。最近はすっかり、おばさん街道まっしぐらかも(笑)。バッグには常に飴が入っているし、最近「よいしょっ」とか声にでてしまいます。とり急ぎ、ご返事まで。後藤
最後の「後藤」の二文字が、際立って見えた。石田へのメールだから旧姓を使うのは自然なことだし、ややよそゆきな文体も当然だろうが、「昔の同級生だった後藤さん」から返事が来たという、そのことに単純な喜びがあった。
後藤さん、返事を、どうもありがとう。
あの日は、女の子の誕生会なんてはじめてだったし、なにをあげていいのか分からなくて、とりあえずファンシーショップでクマのぬいぐるみを買ったんだけど、プレゼント用でと言ったら、「これは形が凸凹しているので」って、ビニールの袋に入れて、表側にリボンが申し訳程度についたシール(腕章みたいなやつ)をぺろんと貼っただけのそっけない包装になってしまって。一緒に買いに行った臼井君は陶器製の貯金箱を選んでいたから、それは箱に入れられてピンクのリボン(それも蝶結びじゃなくて、ダリアの花みたいなゴージャスな結び方の)をかけられて、すごくプレゼントらしくなっていて、羨ましかったものです。
後藤さんはケーキのろうそくを吹き消した後で、みんなからのプレゼントを開けて行ったんだけど、覚えているかな?「なにが入っているのか想像ができないもの」とか、「開けるのにより手間のかかるもの」、を後回しにするらしくて、だから僕のプレゼントは、最初から二番目に開けられたんだよね(苦笑)。臼井君の貯金箱は割れ物で白いふわふわの紙で何重にもくるまれていたから、ほんとうに最後まで後藤さんもみんなも「なにかな、なんだろう」ってワクワクしていたみたい。
その日の帰り、後藤さんのお母さんから、「誕生日のお返し」というプレゼントをもらったのは衝撃的なできごとだったな。女子にも男子にも同じ、水色のギンガムチェックのリボンで口が縛ってあって、中にはクッキーと、タオル地のハンカチが入っていて、男子女子の区別なく、それぞれワンポイント刺繍が施されていた。僕のはダックスフントで、臼井君のものはペンギンだった。
人の心をしあわせにするのって、そういう、リボンとかワンポイントの刺繍みたいな、「一見無駄なんだけど、ささやかな可愛いもの」なんじゃないかってその時思ったんだよね。なんか、いろいろ書いてしまいましたが。それでは、また。石田
真夜のブログから寄せ集めた情報と、自分の記憶を頼りに書いたものだったが、書きながら、どこかほのぼのした気分になっていた。
そんなことがあったのを、思い出しました。
石田君の書いてくれた話(プレゼントの中味、何だろうっていうわくわく)、共感をおぼえました。関係ないかもしれないけど、このあいだ友達のお子さんにと思って、図書券を買おうとしたら、今後は図書カード(テレカサイズ)だけになるそうです。そういうのって、だんだんコンパクトになるけど、なんか、味気ない感じだなぁって。
逆に、お年玉を入れるポチ袋、あれは最近、札が折らずに入るサイズがよく出るみたいで。三つ折りのお札をお店で出すのはちょっと恥ずかしいけれど、それでこそお正月だったのにって思う。
石田君からメールをもらって、昔に戻ったみたいに優しい気分になれました。臼井くんにもお礼を言わなきゃ、ですね。後藤
そう書いてあったのに、さえらからは一向に僕への連絡はなかった。
|
0000 |