▼女装小説
少女A’
作: カゴメ
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 その後数日間はクラス内の話題に上ることも増えた千博だったが、もともと存在感が薄か
った為だろう、特に危惧していた「怜霧」に関する質問はほぼ全く無く、それまでとさほ
ど変わらない日常が過ぎていった。 状況が状況のため、「怜霧」としての撮影は休止し
ていたがその間も変わらずに様々なものを旧式のフィルムに収め続けていた。
「先入観、先入観か」被写体を最も魅力あるものに写す方法論など、そう容易に見つかる
ものではないからこそ万人に訴えかけやすい先入観に逃げるのだろうか。
(きれいなものをきれいに撮って何が悪い――)そうは言っても事実三村の写真は敢えて
ヒビの入った硝子細工など独創的な視点から優れた写真を撮っていて、かつ評価も高いの
だから仕方がない。 さほど上々とは言えない首尾のまま、重い機材を担いで既に薄暗い
部室に戻ると、何故か誰一人としてそこには居なかった。 良く見ると、デジカメを始め
とした各種機材も整頓してあり、上級生達は既に帰ったあとなのだろうか。
「まだ早いんじゃ……」そう呟いたとき、部室の引き戸が勢い良く音を立てて開いた。
「三村、居る?」凛とした、張りのある大きな声が響き渡る。 声の主を振り返って、千
博はそれが誰かを思い出した。
オレンジがかったセルフレームの眼鏡を直しながら部室内を見据える瞳。 両頬を流れる
ようなストレートロングは、その活動的なイメージに映えている。 長い手足を振りかざ
すように千博に近づいてくるその人こそ、新聞部部長、春(はる)希(き)菜穂子(なおこ)で
ある。 もともと写真部と新聞部はその活動の特性上協力関係にあり、千博も彼女のこと
は顔見知り程度には知っていたが、これほどまでに近い距離で、まして二人きりで会うこ
とは無かった。
「あ、三村先輩来てないみたいですけど」軽く頭だけを下げて、そう答える。
「んー、草壁君だっけ、君がいるんだったら手間も省けて丁度良い」目鼻立ちのくっきり
とした表情で笑いかける。 可愛いというよりもどちらかといえば美人の部類に入る菜穂
子と、上手く視線を合わせることが出来ない。 以前三村先輩が言っていたように、僕を
取材するつもりなのだろうか。 そう千博は思った。
「――単刀直入に聞くね、あの写真のモデルの女の子って、誰?」
「……は? 誰、っていうか……写真、撮ったのは」取材じたいは受けてもいいと少しだ
け思っていたが、「怜霧」のことは聞かれたところで話すつもりも無い。 不愉快な苛立
ちこそ沸き起こらなかったが、困惑は顔に露骨に出てしまっていた。
「わかってるよ、そもそも写真撮ったのは草壁君なんだから、君を取材するのが本当だっ
て。 でも、読者の要求はそうじゃないんだよね」
「読者、って」
「うん、この学校の生徒。 あまり大きな声じゃ言えないことだけど、君とモデルの彼女
をタブー視してる皆」夕日の差し込む窓を背にして、菜穂子は椅子ではなく机に腰をかけ、
健康的に伸びた両脚をふらつかせた。
「僕が、皆から変な目で見られてる、って事ですか」だからこそ、「怜霧」の話を誰も聞
こうとしなかったのだろうか。 存外早く、「怜霧」に関する真実が見破られたのだろう
か――汗の浮かび始めた手を握り締め、春希の言葉の続きを待つ。
「君自身は目立たない生徒みたいだし、過去にこれといった活躍も問題も起こしていない。
 クラスメイトの多くが、卒業して真っ先に忘れるこの学校の思い出の一つだと思うよ」
「随分な言い草ですね、今回のことでちょっとは見直されたと思いますよ」
「まあ君というより君に関するミステリーが、ね」淡く白い顔を差し込む陽に染めながら
春希は、脚を組み替えながら挑発するように笑う。
「新聞部にも独自の情報網があってね。 そこで八方手を尽くして調べたの、あの子のこ
と。 そしたら、どんな結果が出たと思う?」
勿論何も出てくるはずがない。 そう答える代わりに千博は沈黙を貫き、俯きながら菜穂
子がふらつかせている足許に目を向ける。
「そう、これが驚いたことに学校中の生徒は勿論先生方やOB、OGに至るまで誰に聞いても
見たことがないって……そのことをほら、月曜の新聞に書いたら反響が凄くてねえ。 特
に男子は、可愛い女の子に相当興味深々らしくて、新聞部としてもこれだけ注目が集まっ
ちゃった今、何も動かないって訳にはいかなくなって……で、草壁君。 皆が聞くに聞け
ないことを代表して、君の知ってることを話して欲しいとお願いする訳だ」
「彼女は……他校生です」文字を搾り出すように、千博は短く答えた。 苦し紛れにして
ももう少しましな嘘もあるだろうが、現に言葉が思い浮かばないのだ。
「他校生ねえ……中学かなにかの同級生?」
「あははは、ビンゴっ」不意に、菜穂子が両手を打った。 「それは無いね。 草壁君、
滝川二中だったよね? 残念でした、そう来ると思ってあそこの中学出た子たちにも予め
聞き込みしてあったんだよ」事前調査は万全で、最初から詰むつもりで来たらしい。 新
聞部の辣腕ぶりに感嘆すると同時に、きっとこの人は探偵に転職してもやっていけるだろ
う、そう千博は思った。
「……で、あの子は一体どんな子なの? もちろんプライバシーに抵触するようなところ
はボカして記事にするから安心して」
「わかりました、それじゃ本人に直接取材申し込んでください、アドレス教えますから」
そう言って菜穂子に手渡したメールアドレスは、千博自身が以前取得して、使っていなか
ったフリーメールのアドレスだった。 菜穂子もこれ以上の追求は時間の無駄と判断した
ようで、その提案をすんなりと受け入れた。
「ふむ、もう拷問でもしない限り草壁君から何かを聞きだすのは無理か」菜穂子が肩をす
くめて机から颯爽と飛び降りると、呆けた表情の三村が部室に入ってきた。
「んー、なんだ春希、明日じゃなかったのか?」
「まあちょっとね、でも取材は済んだから。 草壁君、三村、サンキュ」
どうやら補習明けらしい三村以上に呆けた表情の千博は、身を翻す菜穂子の姿を見つめて
いた。

               ※   ※   ※

新聞部は部としての活動の規模も、所属する人員も写真部の比ではなく、必然的に部室内
は雑然とした様相を呈していた。 もともと文化系部活としては最も歴史が古く、現在の
教師達の間にも数名、OBが含まれている。 その為予算も他の部活より潤沢で、4台割り当
てられたパソコンを初めとする各種OA設備、カメラひとつをとっても写真部より優れたも
のすら配備されているほどだ。 忙しく動き回る部員たちを尻目に、そのリーダーたる菜
穂子だけは腕組みをしながら椅子から動こうとせず、プリントアウトされた一枚の紙を睨
みつけている。
「それですか? 例の、草壁君の写真のモデルさんから来たメールって」
「んー? ああ上川、あんた草壁君と同じクラスだったよね。 あいつ、教室だとどうい
う奴なの?」
「どうって……大人しいっていうか、暗い感じですよ。 いかにも写真部、って感じの」
そう答えた後輩に菜穂子は、当の紙を手渡す。 「……へえ、アンケートですか。 どれ
どれ……って、あれ?」 
菜穂子が取材対象であるはずの「怜霧」(彼女は最初、その名を知らずどのような文面で
取材を申し込むか少しだけ頭を悩ませた)に送りつけたのは、一問一答式のアンケートだ
った。 質問じたいはモデルに選ばれてどう思ったか、その写真が大賞を取ったと聞いて
どう思ったか、など当たり障りのない質問ばかりだったが、その殆どに対し「怜霧」はわ
からない、あまり実感がわかない、といった実質回答保留の文面を返信してきている。
「これじゃ記事になりませんね……やっぱり本人に接触して具体的な取材を」
「接触できれば、ね」菜穂子は、最後の設問箇所を指差した。
『Q10:最後の質問です。 もしあなたが草壁君を逆にモデルとして撮影するなら、どんな
写真を撮ろうと思いますか?  A10:草壁君に、なにか仮装をさせます。 あるいはとて
も遠くから、彼とわからないような距離から撮影します。 あえて草壁君そのものを撮ら
ないことで、草壁君の存在をより具象化します。 ……まあ言うは易し、ですね(笑)』
「……ここの設問だけはびっしり答えてますね。 写真詳しいんでしょうか、彼女」
「前に写真部の三村が似たようなこと言ってたね、そのときはどういう事かわからなかっ
たけどさ」
「あは、それじゃもしかしてこれ、三村先輩が代筆したのかも」
その瞬間、伊達だとも噂されている菜穂子の眼鏡の奥に閃光が走った。
発想を逆転させることや既存の知識や情報の堆積を捨て去ることによって新たなロジック
の構築が始まることは多々あることだが、今の菜穂子にはまさにそんな転換が訪れたのだ。
「――そもそも、草壁君が彼女への取材を拒む理由って何でしょうね、よっぽど忙しい子
なのかな」
「あるいは、はじめから存在しないのか」脳裏に、三村の言葉の続きが蘇る。
『――写真は、撮ったことが無い奴が思うほど雄弁じゃない。 隠し事も伝えられないこ
ともあるってことだ』
「隠し事……ねえ」菜穂子はゆっくりと席を立った。 その表情に伝統ある新聞部部長の
意地と重みを宿して。

               ※   ※   ※

 周囲に群生する小高い樹木の隙間から射す淡い光を、小さな池は澄んだ秋晴れの空をそ
のまま映しこんだような青い水面にたたえている。 天然自然に存在していたわけでもな
い、学校の敷地内になぜそんな場所があるのか生徒達の間では不思議がられていたが、か
といって積極的に近寄る者も無く、放課後の喧騒を遮るには適当な場所でもある。
(最近、外に撮りに行ってないな)先輩に頼んでどうにか借りた、右手に丁度納まる大き
さの小さなデジカメを構えて千博はその岸に座り込んだ。 少し前はこの場所も、「怜霧」
にとって格好の撮影ポイントではあった。
……春希先輩には、気づかれたのかも知れない。 そう千博は考えていた。 勿論それを
追求されたからといって、認めるわけにもいかないのだが。 足元に転がっていた小石を
左手で拾い上げ、狙いも定まらないまま乱暴に、水面へと放り投げる。 珠のような飛沫
を上げて、池はその小石を飲み込んだ。 瞬間、右手の人指し指がデジカメのシャッター
を切ると、繕ったかのような耳障りな機械音をかき消すように、地面に何かが落ちたよう
な衝撃があって、慌ててファインダーから目を離した。 撮影した映像を確認することも
忘れ、すぐ左を振り返る。

そこに唐突な衝撃の答えはいた。
池にお尻を向けて四つんばいの状態になって肩で息をつくのは、明らかに見慣れた制服を
着た少女。 袖口や短めのスカートは土と枯れ草で少し汚れていて、両サイドをリボンで
束ねた薄茶色の髪の隙間から覗く表情はおぼろげで、千博の記憶がその容姿の端々を何か
と照合しようと渦を巻き始める。
「……ねえ」こちらを振り返ることなく、少女は言葉を発した。 少し甲高く、甘い声で
もある。 混じる吐息が、外見の年齢に相応しくない艶かしさを醸し出している。
「今、何時何分だかわかる?」唐突な非日常の出現に呆然とする千博はふと我に帰り、携
帯電話の表示窓を確認した。 「3時……54分だけど。 あ、朝学校来る前にあわせてき
たから、正確な筈……って」その言葉にこちらを振り返る少女の表情と千博の記憶が一致
した瞬間、千博は驚きの声をあげ、少女は安堵の微笑を浮かべる。
「ふぅ、よかった……上手くいったみたい。 ……はじめまして、草壁千博君」
「き、きき、きみが、どうして……」座ったままの姿勢で両手を後ろにつき、狼狽したま
ま後ずさる。 その端正といって差し支えない顔立ちは、しかし千博にとって容認し難い
事態で、今もなお校舎入り口の掲示板で登校する生徒達を歓迎するわけでもない儚い微笑
みに似ている。 ……似ているというよりも、水に映したかのように符号していた。 少
女が自分の名前を知っていた理由も、その姿が何よりも雄弁に証明している。
「怜霧」
何が起こっているのかはわからない、しかし目の前にいるのは他には考えられない。 だ
が少女は、首を軽く横に振って静かに笑う。
「アイム・ポシビリティ」

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