▼女装小説
少女A’
作: カゴメ
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 闇色に浮き彫りにされた少女の微笑みは僕を僕で無くさせる鏡像で、煤けた窓を朱く彩
る空の下は既に見慣れた学校の風景ではない。

我が写真部に最新型――からは2世代ほど前のデジカメが導入されたことによって、予備教
室の一部を改装した暗室は既に誰のものかも分からない私物や何処から持ち込まれたのか、
何に使えばいいのかも分からない機材(のようなもの)が雑然と打ち捨てられた物置とし
ての役割に取って変わられつつあり、お陰で嫌に煌々と光る赤色灯だけが照らす二畳ほど
の闇は一時的に僕だけの世界になる。 部としてのランニングコストを削減する意味では、
当然デジカメを有効活用するのが正しいが、生憎下っ端の1年部員は僕だけで、それが先輩
達の間で持ち回りされてしまう以上手間と金のかかる旧式に頼らざるを得ない。 現像液
の乾きつつある数枚の印画紙には、それぞれに同じ少女の姿が浮かぶ。 共通しているの
は、人のいない教室、校舎の離れにある小さな池のほとり、空の限りない遠さを実感でき
る屋上など全て学校の敷地内で撮影されていること、そして一枚として立ち姿のものは無
いこと。 座っているか、全身の写っていないバストアップまでである。 紺を基調とし
たブレザーの制服に少し多めの黒髪、常に陰影をはらんで微かにおぼろげな笑顔(これは
写真としては良くないものなのだろうが)を浮かべている少女。

其処に写し出されているのは間違いなく、僕自身のもうひとつの姿である。

先輩達のアシスタントの傍ら僅かに与えられた時間と使い古しの機材で、自分に何が撮れ
るか模索を続けていた。 部員数も決して多いとは言えず、協力できる仲間も得られない
状況下で、校舎を撮った。 花を撮った。 屋上に留まっていた雀を撮った。 放課後の
サッカー部で、ダイビングヘッドを決めた3年生を撮った。 クラスの女子に頼まれて記念
撮影もした。 そしてフィルムと現像液を淡々と消費しながらままならないモチーフに苛
立つばかりだった。
そんな『出来はそれなりだけど見ていて面白くない写真』と先輩にも好評の作品群を片付
けようとある時暗室内の整理を始め、誰も使っていない筈のロッカーを開いたとき、真っ
先に目に飛び込んできたのは上下一揃いの、女子の制服だった。
……誰のだろう? 当然の疑問に僕は、思考を走らせた。写真部に女子は今も、先輩達の
話を総合すると少なくとも過去3年以内は在籍した記録はないという。 かといって校内の
生徒が暗室に出入りして、制服を置いていった可能性というのもおかしなものだ。 そも
そもロッカーは申し訳程度に施錠されていて、かつその鍵は写真部――というよりは現在
は暗室の主である(されている)僕が管理しているのだから。 ハンガーごとそれを引っ
張り出して、肩の部分に少しだけ積もった埃を払う。 女子のサイズとしても少し大きめ
の制服は、ブラウスにいたるまで皺ひとつなく、誰にも着用されたことがないかのように
も見える。 思わず自分に合わせてみると、僕が小柄な所為もあってすんなりと両肩を包
み込んだ。
「使える」思わず口に出してしまい、僕はその制服を無理矢理折りたたんで、鞄の中へし
まい込んだ。自分が女子の制服を着る、という行為じたいに躊躇いや後ろめたさがなかっ
たわけでは無い。 大義名分があるとしても、普通なら思いつかないことだし、本来なら
この一件も先輩や先生に相談して事後策を仰ぐべきだと思う。
 だから密かに、誰にも見せることなく見つかることなく、自分自身がこの世で最も自由
に扱えるモチーフであることを証明する為に僕は僕でない少女の姿となって、撮ることの
可能性を開こうとしたのだ。 美術家が自画像を残したがるのは、ナルシズムだけに起因
するものではないと思う。
その日のうちに制服はクリーニングに出し(演劇部の備品だとごまかした)、薬局の約三
分の一のスペースを占める化粧品コーナーを前に気勢を削がれかけたが、コンビニで立ち
読みした女の子向けのファッション誌を参考に必要最低限のものだけを買いそろえ(何故
か必要のないゴミ袋を同時に購入し、お使いだからと自分に言い訳した)、メイクの方法
はインターネットで大雑把にではあるが学んだ。
撮影場所は学校内と決めていた為、予め誰もいない場所、着替えの場所が確保できる場所
に絞ってロケハンを繰り返した結果、教室棟とは別棟の多目的教室を拠点とし、慣れて居
なかった自画撮りもその過程で学ぶこととなった。
 初めのうちこそ演劇部から借りたウィッグの扱いに戸惑ったものの、次第にメイクの不
出来を誤魔化すためにわざと暗く撮影していた表情にも変化が生まれ、試みの充実は本来
の写真部としての活動にも好影響を与える、筈だった――

               ※   ※   ※

「――先輩っ!」
放課後の賑わいから零れ落ちてきたかのような草壁(くさかべ)千博(ちひろ)の息も絶え絶
えの声が、写真部の部室となっている空き教室に響き渡る。 
「俺の、しゃっ、写真――」血相を変えて、という言葉がまさに相応しい千博の額には、
冷え込みが厳しくなり始めた10月の午後を忘れさせるかのように汗がにじんでいる。
「写真? ……ああ、暗室に置いてあったやつか? 女の子の」撮影した画像の編集、加
工、出力など休む間もなく稼動するデスクトップパソコンを前に、2年生の三村は千博を振
り返りもせずインターネットの新作オンラインゲームの情報を眺めている。
「あれ、ヒロが撮ったにしちゃ良く撮れてたな。 相沢達も褒めてたぜ」
「いやっ……その……その写真、どこにありますか?」
「どこってお前、何慌ててんだ? 大丈夫だよ、さっき俺がちゃんと他の奴の分と一緒に
コンペには出しておいたからさ」
「ま、マジっすか!?」よろめくように千博は三歩ほど後ずさる。 自分の不注意と言え
ばそれまでだが、巡り合わせの悪さに眩暈を覚えた。
千博は女子の制服を着て、ウィッグとメイクを施したときの自分を「怜(れ)霧(む)」と呼
んでいる。 レンズを通してファインダーから覗きこむ少女の姿は自分であって自分では
ない。 固有の人格があるわけでもないが、そうした線引きをすることでより表情や仕草
を自然な同年齢の女の子に近づけることが出来ると考えているのだ。 そして千博は、「
怜霧」の写真はどんな理由があっても他人には見せないと決めている。 どれだけ「怜霧」
がごく自然な微笑みを浮かべ、その姿形の意図するところを押し殺したとしても、千博の
後ろめたさは消えることはないのだ。 そんな「彼女」の写真を1枚だけ暗室に置き忘れた
ことに気づいたのは6時間目の授業も終盤にさしかかり、集中力の限界にさしかかっていた
ところだった。 授業が終わってから急いで部室に行けば間に合うだろう、その見通しが
無残に打ち破られ、月曜日は2年生の授業が5時間しかなかったことを思い出す。 最も三
村はインターネットが見たくて早めに部室に来ていたのだろう。
「あの写真の子、結構可愛かったよなぁ。 お前の彼女? ……はっ、冗談じゃ無いか」
ケラケラと笑い声をあげる、写真のセンス、技量以外は敬うところなど何処にもない目の
前の上級生は「怜霧」の姿を何も疑問に思わなかったのだろうか。
「いやあの先輩、あの写真……コンペに出すつもりじゃ……出来もあんまり良くなかったし」

――誰も居ない教室の窓際の席。 片肘をついて翳る夕日を頬に受ける。 机の上に乱雑
に放り出されたシャープペンとノート。 意味も分からないまま教科書から書き写した英
文。 同じような毎日がゆっくりと、しかし確実に流れてゆく。 誰とも合わせようとし
ない視線を散乱させながら、その先に待つ明日を思い、どこか自嘲気味な笑みが浮かぶ。
なにかが違うはずの明日。 でもきっと、今日と同じはずの明日。
 そして薄桃色の唇は、ゆっくりと何かを呟いた――

「なに、参加することに意義があるってやつだ。 不出来とはいえ可愛い後輩が一生懸命
作品を出してきたんだ、俺も嬉しいよ。 これもひとえに先輩の暖かい指導の賜物ってこ
とで、今度駅前の西園寺そば奢りな」
「いえ、ですから本当はこっちが……」そう言いながら千博は鞄から一枚の写真を取り出
した。 夏休み期間中に登校して撮った、積乱雲の写真である。 三村はその写真を黙っ
て5秒ほど見つめていたが、すぐに千博に突き返した。
「どうしてヒロちゃんは花はきれい、空は高い、雲は大きくて恐ろしいとか、先入観でし
か物が撮れないのかなー?」
「あの写真は、先入観が入って無いって言うんですか」思わず反論してみたが、指摘その
ものは尤もだと思うし、写真家としては確かな実力のある先達のアドバイスに関心を持っ
ていた。
「あの写真はだな、女の子を撮ってるんじゃない。 あの子がレンズの向こうから手を伸
ばして、シャッターを切ってる……そんな写真だ。 先入観どころかお前の意思が介在し
ていない、カメラマンがモデルをありのままに撮った写真だよ」
この先輩は、ふと「怜霧」の正体すら見透かした上ではぐらかしているのだろうか。 そ
う勘ぐらざるを得ないほど核心を突かれたことに千博は軽く狼狽する。
(まあ、これ以上人目に触れることもないだろう)そう信じこむしか無かった。

新聞部が定期的に配信する校内新聞は校舎入り口の掲示板に週一回程度、トップ記事の拡
大コピーのみが貼り出されている。 詳しい内容は各クラスに配布されるA4判程度の紙面
を参照してくれということだが、特に部活や勉強で対外的に華々しい活躍がなされている
わけではないこの学校ではセンセーショナルな記事が書かれていることは殆ど無い。 と
ころがその日貼り出された紙面、とりわけその中央に大きく写し出されている写真と華々
しい文面のキャプションはいつになく生徒達の注目を集めていた。
「すげえな、大賞だってよ」「高校生写真コンクール、ねぇ。 甲子園みたいなもんか」
「おい、うちに写真部なんかあったのか?」
「つか、この子可愛くねえ? どこのクラスだっけ?」
「私知らないよー、学校にあんまり来てない3年とかじゃないの?」
「草壁君って、B組の人だっけー。 知ってる?」
「クラス同じだけど、話したことないよ。 何か暗い感じ?」
登校してくる生徒達が色めきたつなか、当の千博は三村の隣にぼんやりと並び、騒ぎを遠
巻きに他人事のように見つめている。
「……写真、新聞部に貸したんすか」
「……ああ、断る理由も無かったしな。 春希の奴、お前にも取材させろって息巻いてた
ぜ。 何はともあれ、受賞おめでとう。 これでお前は名実共にうちを背負って立つ男だ
な」
「どうもっす。 でも応募するつもりの無かった作品で賞を取っちゃって良かったんすか
ね」白黒刷りになってはいるが、写しだされた少女は本来、いるはずの無い少女だ。 仮
に「怜霧」について誰かに何かを問われたとき、自分は何と答えるだろう? 混濁する思
考は纏まることもなく、一方で集まった生徒達の誰一人としてすぐそばにいる千博に注目
しないのがただ可笑しい。 「やれやれ、授業にでも行くか」三村はふらりと踵を返しな
がら千博の肩をぽん、と叩く。
「西園寺そばにミニカレー、つけてくれよ」

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