▼女装小説
薫風学園 高等部
作: 安藤 三智子
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「ようこそおいで下さいました。橘様ですね。美寿羽様がお待ちでございます」
そう言って、高級ホテルで見かけるベルボーイ風の出で立ちの青年が、ドアを開け
ながら、挨拶をした。
車を降りると、その青年に促され、目の前にあるアーチをくぐり、塀の中に踏み込
んだ。店の入り口から、美寿羽オーナーが、こちらに向かって歩いてくるのが見え
た。
右手に持ったリードの先に、かわいらしい子犬がはしゃいでいる。
昨日のドレスとは打って変わって、都会的なパンツスーツがキャリアを感じさせた。
藍色の光沢に、シルバージュエリーがアクセントになって、存在感を醸し出してい
る。子犬を抱き上げながら、
「橘様、どうなさったの?なんだか心ここにあらずと言った感じですわよ」
そう言って笑った。
「いやぁ、僕の知ってる東京とは違う景色ばかり見ているような気がして、本当に
東京に帰ってきたんだろうかと、少し不安になったんです。しっかし、かわいい子
犬ですね」
と、手入れの生き届いた彼女の愛犬の頭をなでた。
「あらあら、専門分野以外は本当に興味がおありではないようですね。チワワです
わ。これでも立派な成犬ですわよ。夢香様からお譲り頂いた大切な私のパートナー
です」
「これがチワワですか。噂には聞いた事があります。こんなにちっちゃいのに成犬
なんですか?僕の部屋にいたら、見失いそうだ」
「そんなにお部屋が大変な事になっていらっしゃるの?」
「そりゃあ、一応片付けはしますけど……」
と、自分の今出てきた部屋を思い出して、なんだか引っかかっていた点が明らかに
なった。
そうだ、片付きすぎてたんだよ。それに、部屋に埃っぽさがまるでなくて……
「俺の部屋、誰か出入りしてませんか?」
思ったままを口にした。
「お気づきになられました?定期的にホームキーパーが伺っております。でも、ご
安心ください。ホームキーパーがお部屋で作業をしている間の映像がきちんとわた
くしの事務所に流れておりますから。それに、大切なものは全て、今お住まいの学
園のお部屋にございますでしょう?」
「それがあの、誓約書の一文だったんですね。万が一の場合、学園が必要と感じた
場合には、部屋への侵入を許諾する。定期的な清掃、郵便物、宅配物の管理の一切
を委託する。まさかあんなに綺麗に清掃してくれてるなんて、それも大きな違和感
を感じさせないように。恐れ入りました。」
確かに思い出してみれば、勝手に仲間も出入りする部屋だから、誰が来てもおかま
いなしだし、金目のものは、メイク道具だけだ。何の不安もなくその誓約書にはサ
インした。
「はい。不衛生なお部屋を黙認できませんし、定期的に人が出入りしないと、都会
ではどんな事に悪用されるかわかりませんもの。お許しくださいませ」
「いや、こちらは有難い事ばかりです。それと、プライベートで奴らと連絡が取り
たいときにはどうすればいいんでしょう?訳わかんなくて、海外で少しの間連絡と
れねえぇってやつには言ってたんですが、この先ずっとっていうのは逆におかしな
話かなと思って」
「その通りですわね。セキュリティー上、薫風学園は、携帯電話の通信をはじめ、
あらゆる連絡手段が、学園が管理するシステムの下に行われております。ですから、
わたくしとの連絡は、難なく取れますけれど、他の方との連絡は、圏外や、海外と
同じように、出来ない仕組みになっております。橘様がどなたかに連絡を取られる
ことがおありになって、わたくしにお聞きになれば、すぐに手続きをさせていただ
こうと考えておりましたけれども、今日まで何もお困りになられなかったので……
ご実家との連絡回線は、繋げておきましたけれど、それも一度もご使用になってお
られませんでしたものね。男の方は皆さんそんなものなのですか?それに、今回も
お休みに際してなんらかのアクションを起こされるかと思っておりましたけれども、
その様子がございませんでしたので、お節介かとは思いましたが、親友だと一度ご
紹介していただいた有島様にだけ、私からご連絡差し上げましたの。ちょうどお名
刺も頂いておりましたし、有島様のご専門のカメラのことで少しお聞きしたい事も
ございましたので」
「そうだったんですね。有島の奴、肝心なことはなんもいわねぇで、飲む約束ばっ
か話すもんですから……一言美寿羽オーナーと会ったっていえば済むことなのに、
なんなんだよ」
と、後半は独り言のように愚痴をこぼす俺の言葉にかぶせるように、美寿羽オーナ
ーが切り出した。
「それだけ橘様にお会いしたかったのですわ。それに海外で連絡がつかない仕事な
んて、女性同士ならいろいろと詮索したがるものだと思いますけれど、その事は全
然気になさっていないのですもの。不思議ですけれど、羨ましい限りですわ。それ
にわたくしから見れば橘様もご同類かと(笑)」
そう言われれば、そうかもしれない。俺も似たようなもんだしな……
電話で有島と話してる時には、何も違和感を持ってなかったもんな……
美寿羽オーナーの笑顔に、自分勝手な言い分が恥ずかしくなって、笑い返すしかな
かった。
「できれば何人か連絡を取れるようにしておきたいんですが、いいですか?」
「はい。詳細をお話しするには、とても時間がなくて、申し訳ない事をしました。
今夜ゆっくり橘様の疑問にお答えできればと思っております。ご連絡の方法もお教
えいたしますわ」
「そうですね。その他にも、いくつもお話しいただきたい事や、お教えいただきた
い事があります。覚悟して下さいよ」
「お手柔らかに、お願いいたしますね。」
「この子に免じて、紳士的にまいりましょうか」
と、彼女のパートナーを抱きしめた。
「お前が付いてきてくれて、私は助かったみたいよ」
俺の手の中の愛犬の鼻をつつきながら、彼女が微笑んだ時、
「美寿羽様、テーブルのご用意ができましたが……」
と、さっきの青年から、声をかけられた。
「では、橘様、まいりましょうか」
「えぇ、おなかがすいてたまりません。思いっきりごちそうになりますよ」
青年は席に案内すると、彼女のパートナーを引き取り、
「ごゆっくり、楽しいひと時を」
そう言って遠ざかった。

「まずは、お料理を楽しみましょう。腕をふるってくれたシェフの為にも」
「お腹がすいた僕の為でもあります」
「それはわたくしも同じですわ」
その言葉を皮切りに、素晴らしいフルコースが次々にテーブルに運ばれてきた。
こちらの食べるスピードに合わせて、スムーズに料理が並ぶ。
本当においしいものを食べている時は、どんな美女を前にしても、人は無口になる
ものだと実感した。コースをすっかり食べ終えて、店の敷地内のテラスに、テーブ
ルを移した。

「ここなら、誰にも気兼ねなくお話しできますわ。なんなりとご質問ください」
カクテルグラスを軽く持ち上げて、彼女が切り出した。
「ありがとうございます。では、早速ですが、里中りささんのことなんです」
と、アルコールが回らないうちに、確信から聞くことにした。
「そう言えば、昨日も何かお話になっていましたわね。わたくしにも、遼華様と特
別な関係があるのかと、お聞きになられていましたわ。橘様には何をお話しになら
れたの?」
「笑いや笑顔に関心があるそうですね?それで、僕がオーナーに向けた笑顔が、女
性では珍しい顔だとかなんとか……」
「さすがりさ様ね。橘様を男だと見破るのも、時間の問題ですわね」
さほど深刻でもない口調で、さらりと重大発表をされたようで、
「それはまずいんじゃあ……」
と、少し声が高くなった。
「大丈夫ですわ。それを表ざたにするような方ではありませんし、そんな事をして
も、りさ様には何の利益もございませんもの」
「それならいいんですが……。彼女は普段何をされている方なんですか?」
「普段は、脳神経外科医として、様々な病院でのリスクの高いオペのみに力を貸す
立場にあります。手術の無い時には、ご自分が卒業された薫風学園の生徒たちの希
望に答えて、心理学を教えてらっしゃいます。その他にも、笑いが人に影響する様
々な事柄を研究されているのです」
「それで、劇場のオーナーもされてると言うことですか?」
「まあ、よくご存知ですわね。どなたにお聞きになられたのですか?その通りです。
笑いは人にはとても必要不可欠なものだとお考えで、お笑い界を目指す若い方々の
お力になれればと、様々な所で、ご尽力なされているようです。その中で、研究材
料を見つけられたり、実際に研究をされることもあるようですわ」
「偶然ですが、その劇場に今日行って来たんです。その時隣に座った女子中学生が、
彼女の事を教えてくれたんです。舞台袖から舞台を見守る、彼女を見かけました」
「そうだったんですか。先日薫風学園の女生徒達の笑顔を見て、気になることがあ
るとお話でしたから、もしかすると、橘様に、その事で何か御相談があるのかもし
れませんわね」
「僕にですか?力になれることなら、何でも協力したいとは思いますが、大丈夫で
しょうか?学園でお会いするのと、東京であなたを交えてお会いするのと、どっち
がいいのか、僕では考えが及びません……」
「そうですわねぇ……明日一日、わたくしにお時間を下さいませんか?何かいい案
がうかぶかもしれませんわ」
「お願いします」
いつも彼女に力を借りてばかりの自分を情けなく思いながら、学園の中での自分に
は、それしかできない事に納得することに努めた。
「あなたはお友達と、明日一日、何も考えずに、久しぶりの橘遼平を満喫してくだ
さい」
「問題を押しつけて、自分だけ遊び歩くなんて……」
「問題ではございませんわ、チャレンジです。そう考えれば、楽しくなりますわよ!」
この人と会うと、ネガティブな自分に気が付き、ポジティブな考えを受け取ること
ができる。この気持ちは、薫風学園で生徒たちに返せればと思う。
里中りさ・・・彼女とも新しいチャレンジを始める事が出来れば、最高なんだが……
「今夜は本当に楽しゅうございました。それに新しいチャレンジも見つかりました。
橘様と出会えて、私の生活も薫風学園により一層近づいたようですわ。本当に感謝
しております。では、ごきげんよう」
そう言い終わると自分の口に人差し指を当てて、俺から伝えようとした感謝の言葉
を止めながら笑った。
ただ、彼女に一礼して、遠くなる笑顔に、手を振ることしかできなかった。
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