▼女装小説
薫風学園 高等部
作: 安藤 三智子
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それより、歴史史料室へ行くのが肝心だ。
生徒や教職員に聞きながら、やっとのことで歴史史料室に辿り着いた。史料室と言うも
のだから、どこかの建物の一室かと思っていたら独立した建物じゃないか。この学園の
莫大な財源には、まだ免疫が出来ていない。これだけの規模になれば、巷では史料館と
表現するもんだ。

大きく重厚な扉を開けると、(と言っても自動で開くのだが……)史料室の館長と思わ
れる女性が迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。遼華様ですね。私はこの歴史史料室のすべてを任され
ております「柊 史乃」と申します。浅葱様からご連絡がございました。夢香様にお会
いしたいそうですわね。ご案内いたしますわ。」
少しふっくらとした容姿の上品な女性が出迎えてくれた。
最高級のベルベットで仕立てたスーツが寸分の狂いもなく彼女の身体にフィットしてい
る事から、オーダーメイドのブランド物だという事がよく分る。
「ありがとうございます。」
流石、浅葱教頭だ。おっとりとした物腰から想像できない手際の良さだ。わざわざ頼ん
でもいないのにこの整った対応には恐れ入る。
それにしても館内の素晴らしい内装の数々に溜息が出る。本当にここは日本なのかと疑
いたくなる。
「よほど驚かれているようですわね。建物の様式に興味がおありなら、夢香様にお尋ね
になるとよろしいわ。詳しく御説明して下さいますわよ。」
驚きのあまり、不用心に口を開いていたようで、くすくすと館長に笑われてしまった。
広い螺旋階段をずいぶん進んだ後に、二階の角部屋の扉が開かれた。本に埋もれるよう
に人影が覗いている。館長が明けた扉をノックしてその人影に声をかけた。
「夢香様、お客様ですよ。少しお休みになられてはどうですか?美味しい御茶をご用意
いたしますから、隣のお部屋でお待ちくださいませ。」
積み上げられた本の隙間から、夢香先生が顔を上げるのが見えた。
「柊館長にお誘いいただいたとあっては、お断り出来ませんわね。」
そう言って立ち上がった時に、初めて夢香先生と対面した。お客様と紹介してもらった
所は、聞き逃したのだろう、目の前の大女に驚いた様子が隠せない顔つきになった。
「ごきげんよう。夢香様。わたくし……」とここまで言うと、
「ご紹介には及びませんわ、遼華様。あなたほどお美しい新任講師を知らない人はこの
学園におりません事よ。ごきげんよう。何か調べ物でもございましたの?この史料室の
ものの事でしたら、わたくしがお力になりますわ。」と、愛らしい笑顔を向けた。
美寿羽オーナーが言っていた通り、お気に入りのグリーンを基調にしたファッションが
飛び込んできた。
さりげなく新緑の若葉を胸に付けたようなリーフ型のブローチは、きっと本物のエメラ
ルドだろう。史料の文献を読むには長い髪が少し邪魔なのだろう、淡いグリーンのスカ
ーフで、何気なく束ねているのもよくお似合いだ。好きな物に囲まれて好きな研究をし
ている事も手伝って、生徒達が言うようなとっつきの悪さは微塵も感じない。男ならこ
の笑顔を見れば、だれもがなびく事間違いないとも思った。まぁその事に本人が気付い
ていないのだから、宝の持ち腐れだ。浅葱教頭もこの笑顔を引き出して生徒達に見ても
らいたいんだろう。
「実は、今度の椿祭で、中世ヨーロッパの王妃が舞踏会で着ていたドレスを、生徒達に
見せてあげたいと考えているのですが、間違いを教えるわけにはまいりませんので、出
来る事なら夢香様に、監修をして頂きたいのです。」
とっさの一言とは思えないナイスな提案に自分でも驚きながら困っている表情をしてみ
せると、
「まぁ、それは素敵な思い付きですこと。喜んでご協力いたしますわ。」
と、予想以上の嬉しい反応が返ってきた。それが弾みになり、
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、もうひとつお願いがございますの。よろし
いかしら?」
と、次の思いつき提案もしてみる事にした。
「遠慮なくおっしゃって、わたくしに出来る事でしたらなんなりと。」
こうなったら、女子高生のノリそのままに話し続けた。
「その衣装を、夢香様が演奏なさる時に、お召しになって頂きたいのです。」
「わたくしが王妃の衣装を?」
「えぇ、衣装だけでなく、装飾品も出来る限り忠実に再現したいと考えております。や
はり、厚かましゅうございますわね……」
ここでひと押し、悲しい表情で完璧だろう……
「いいえ、ご協力はいたしますけれど、わたくしより遼華様がお召しになる方が、お似
合いではないかと思いまして。」
「中世ヨーロッパに180センチの王妃は存在いたしませんわ。そうでございましょう
?夢香様。」
昨日鏡の前で繰り返した可愛く笑う練習もこのワンシーンで、無駄ではなくなった。
そう思えるほどの笑顔を返して夢香先生を見つめると、
「遼華様ったら、お上手ね。これでは断れないではありませんか。(笑)丁度衣装に困っ
ておりましたの。遼華様がきちんとプロデュースしてメイクも担当して下さるという条
件でなら、喜んでお引き受けいたしますわ。」
「もちろん。お任せください。(笑)」
と、契約成立を勝ち取った。出逢ってからほんのひと時で、こんなにも物事がスムーズ
に流れるのは、夢香先生の頭の良さだろう。俺と夢香先生の思い描いている椿祭の舞台
のビジョンは、それほど大きな違いの無いものだろうと確信できる。
「夢香様、遼華様、一大プロジェクトのご相談を立ち話ではなんですわ、お茶の用意が
出来ましたから、隣でごゆっくりなさいまし。」
すぐにでも計画を進行したくてたまらない衝動を館長の声が抑えてくれた。あやうく仕
事モードの橘遼平に戻る所だった。
「柊様には情報がばれてしまった様ですわね。では、このお部屋をプロジェクト企画室
にいたしましょう。ね、遼華様。」
本当に笑顔が素敵な人だ。この笑顔を生徒達にはあまり見せていない事を、当の本人の
夢香先生は本当に、これっぽっちも気付いていないようだ。
「それは名案ですわ。柊様、よろしくお願いいたします。」
これから一ヶ月間、二人の小さな極秘プロジェクトは、この史料室の一室で進んでいく。
館長は有能な秘書として力を貸してくれそうだ。
「なんなりとお申し付けくださいませ。(笑)」
なんとも頼れる返事を優しくいただけた。

夢香先生とは、美寿羽オーナーの衣装を決めかねているらしいというアドバイスで、す
んなりと仲良くなる事が出来たし、自分の興味がある中世ヨーロッパの王妃の衣装も詳
しく勉強できそうだ。この降って湧いたプロジェクトで、椿祭が今まで以上に楽しみに
なった。夢香先生もプロの俺に言わせれば、まだまだ磨けば光る原石と言った感じの女
性だ。後は1ヶ月と言うこの短い期間で、どこまで力を出し切るかといったところだ。
人が無理かと思う事をする時ほどワクワクするものは無い。明日から忙しくなりそうだ。
と、肝心な事を聞きそびれる所だった。
「夢香先生、衣装やメイクのコンセプトを明確にして、イメージを膨らませる為に、椿
祭で演奏なさいます曲目と、詳しい内容をよろしければお教え頂きたいのですが。」
「はい。今度の椿祭での演奏曲は、ボッケリーニのメヌエットにしようと決めておりま
すの。この曲は浅葱教頭もとてもお好きでいらっしゃるので、必ず素敵な舞台にしたい
と思っているんですのよ。」
なるほど、選曲理由が恩師へのプレゼントとあっては、俺の力の入れようも違ってくる。
夢香先生の想いの深さと、浅葱教頭の想い深さ、その両方を知っている俺が出来る最大
限のものにしなければ……考えるだけで眠れなくなりそうだ。

「それは最近私の目覚まし代わりになっているあの曲ですわね。」
曲名をさも知っていたかのようにそう言って意味深に微笑むと、
「まぁ、わたくしの練習で遼華様の睡眠を妨げていましたの?」
と、真剣な表情で笑顔を曇らせた。
なんて真面目なんだろう。それに、自分の実力に自信を持つどころか、まだ上を目指し
ている所がこの人の唯一の欠点かもしれない。研究者や、専門学者にはこういった人が
多いのかもしれない。
「それはそれは美味しく朝食がいただけて、ダイエットが出来ませんのよ。」
と、モデル並みのターンをしておどけた時に初めて、今までと同じ笑顔が見えた。
「あれだけ素敵な演奏を迷惑に思う方がこの世に居る訳がありませんわ。椿祭が終わっ
て夢香様の練習が無くなった時のことを思うと心配ですけれど。」
と、なれないウィンクをしてみせると、
「また、来年の椿祭に向けて練習を始めると言う事で、安心して頂けるかしら?」
と、ユーモアたっぷりに返答してもらえた事に満足して、企画会議の初日は幕を閉じた。


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