▼女装小説
薫風学園 高等部
作: 安藤 三智子
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「遼華様もその曲がお好きでらっしゃるのね?私も大好きですのよ。」
普通の高校なら職員室にあたる教職員だけが出入りできるサロンで、講義の資料を作り
ながら、無意識のうちにある曲を小さく口ずさんでいたようだ。
と言っても、誰の曲だか、何の曲だか知らないのが実の所である。自分でも知らぬ間に
口ずさめる程にここのところ耳にしているこの曲は、俺を心地よく眠りから覚ましてく
れる。
小鳥が優しく囀る声がどこから聞こえようが関心が無いように、たった今、浅葱教頭が
問いかけるまで、何の関心も疑問も抱かずに、自分が口ずさめるほどの曲の題名すら知
らなかった。
「実は、わたくし、毎朝この曲で目覚めているんです。それは心地よくフルートで流れ
てまいりますのよ。」
さも、自分はこの曲を知っているかのように教頭に微笑むと、
「フルートで?それはきっと夢香様ね。とてもお上手でらっしゃるから。きっと今度の
椿祭で演奏されるのね。楽しみだこと。」
と、浅葱教頭も微笑んでくれた。
一ヶ月後に椿祭が催される事は知っていたが、自分が担当するファッションショーの事
以外は何も知らずにいた。
「社会科担当の大樹夢香先生ですか?その夢香先生が椿祭で演奏なさるんですか?」
夢香先生と言えば確か社会科担当の先生で、知識と教養が歩いているような女性を思わ
せたので、もう一度聞いてみた。
「ええ。夢香先生は、フルートで幾つものコンクールの賞をいただいていましてよ。そ
れはそれは素晴らしい演奏をなさいますの。音楽を教える事も勿論出来ますけれど、そ
れ以上に歴史と地理に魅せられてしまったようで、本学園では社会科の担当をなさって
おりますのよ。ですから、年に一度椿祭の時だけ特別に、皆様の前で演奏して下さいま
すの。そのフルートの音色で毎日お目覚めになっているなんて、遼華様はお幸せね。」
「まぁ、それでこのところ目覚めが良くて、美味しく朝食が頂けるのですわ。夢香先生
にお礼を申し上げなくてはいけませんわ。」
お気に入りのティーカップで濃いめのアールグレイを飲みながら可愛らしく微笑む浅葱
教頭とのやり取りも、中々板についてきた自分に少し満足しながら、サロンの席から腰
を上げた。
「夢香先生はきっと、歴史史料室でしょう。御訪ねになってみてはいかがかしら?研究
熱心なのはとても関心いたしますけれど、生徒達には少々お話しづらい印象を与えてい
るのがわたくし気になっておりますの。遼華先生の様な快活な方がお友達になれば、き
っと違った一面を見せて頂けるんではないかしら…。」
そう言って笑顔を曇らせる浅葱教頭から、夢香先生を本当に気遣っていることがうかが
えた。そして出来る事なら、力になりたいと心から思った。
「わたくしも、夢香先生とお友達になりたいですわ、あんなに素晴らしい音色を響かせ
る方ですもの、沢山の魅力をお持ちだと感じます。お礼の気持ちもお伝えしたいですし、
これから歴史史料室に御伺いしてみます。」
「まぁ、それはうれしゅうございますわ。よろしくお願いいたしますね。」
「はい。わたくしも教頭先生にそう言っていただけると本当にうれしゅうございます。
では、ごきげんよう。」
そう言って笑顔を取り戻した浅葱教頭を確認してサロンを後にした。

興味がある事が出来ると、居ても立っても居られない。疑問が出来ると解決するまでと
ことん調べ上げる。人が自分を必要としてくれたらそれ以上にうれしい事はない。それ
が俺の性分だ。
メイクの腕が一流と言われるまでになったのも、この性格からだろう。「夢香先生」今
まで興味が無かった分、はっきりと脳裏に焼き付いてはいない。なにせ男だとばれるの
が怖くて、出来る限り皆様とは別の場所で過ごす事にしているのだ。夢香先生の方も歴
史の研究に没頭するあまり、史料室での時間が長いようで、あまりサロンで見かける事
もないし、生徒達の間では、少々恐い先生だと一目置かれているのは聞いた事がある。
中庭と言うには広くて素晴らしい薔薇の咲き誇る温室を横目に歩きながら、
「やっぱ、曲名も知らずに話もつながらないだろうから、美寿羽オーナーに教えてもら
うとするか。夢香先生の情報もいくつか聞かせてもらってから会いに行こう。」
と、まだ自宅にいる頃だろう美寿羽オーナーに携帯電話から連絡してみた。
二度目の呼び出し音の途中で
「もしもし、遼華様?」
と、耳触りの良いオーナーの応答が返ってきた。
橘さんと言われると想像していた美寿羽オーナーの返答に、この人は本当に隙の無い女
性だと感心した。俺がどこから誰といる時に電話をかけているかはわからない。当然の
受け答えだ。それに引き換え俺は、メイクルームに入ると、なんだか無防備になってい
る所がある。気を引き締めねばと痛感した。
「今、メイクルームです。生徒もいませんから、少し普通にしゃべらせてください。」
自分専用のメイクルームのドアを閉めながらそう言うと、電話の向こうで小さな笑いが
漏れた。
「では、橘様、どうかなさいました?学園に入ってからご連絡がないので、さぞ快適に
お過ごしなのかと安心しておりましたのよ。」
少しの皮肉が緊張をほぐしてくれてありがたかった。
「えぇ、本当に良くしてもらっていますし、何とかばれずに今日まで来ました。ご連絡
したのは、ちょっと教えて頂きたい事がありまして。社会科担当の大樹夢香先生の事な
んですが、何かご存知ですか?例えば、趣味とか、好きなものとか、あと、今夢香先生
が椿祭にむけて練習している曲の事とか……何でもいいんです。」
「橘様が他の先生に興味を持たれて、学園になじんで下さることは願ってもない事です
わ。出来る限りお答えさせていただきますわね。夢香様のフルートの腕前は国際的な楽
団からお誘いがいくつもあったほどと言えばご理解いただけると思います。そのお誘い
を蹴ってこの学園で社会科を教えている事で、音楽よりも歴史と地理にご興味がおあり
だと言う事もご納得いただけますわね。この学園の歴史史料の蔵書は世界でも有数です
し、夢香様が望めば海外の研究機関とのやり取りも可能です。そして夢香様の尊敬する
社会科の教師だったのが浅葱教頭なんです。夢香様と以前お話しした時に、浅葱教頭の
様に、魅力的な授業をして、一人でも多くの生徒が歴史と地理に興味を持ち世界に羽ば
たいてほしいとおっしゃっていましたわ。ファッション的な事で申し上げるなら、とて
もグリーンがお好きのようですわ。特にエメラルドグリーンがお好きだとお聞きしまし
たわ。必ずグリーン系のものをお召しものやアクセサリーに取り入れていらっしゃるの
も記憶にございます。第一印象はとてもお堅いイメージを受けるかも知れませんけれど、
性格が真面目でいらっしゃるからであって、とても可愛らしいお茶目な方ですのよ。そ
れにユーモアもおありです。橘様とも仲良くなれると思いますわ。今度の椿祭の演奏曲
は、確かボッケリーニのメヌエットとおっしゃっていましたわ。舞台衣装をどうなさる
かとてもお悩みのご様子でしたから、橘様から何かご提案なさってはいかがかしら?私
が存じ上げているのはこのくらいですけれど、よろしいかしら?」
単刀直入に俺が聞きたい事を瞬時に答えてくれるこの人の頭脳が持ち運べたらと何度思
ったことだろう。
「えぇ、十分すぎるほどのアドバイスです。これから夢香先生にお会いしてきます。良
い報告が出来るように頑張ってみます。忙しい所すみませんでした。」
「お役に立てて光栄です。橘様の元気な声が聞けて、安心しました。また何かお困りの
折には、気軽にご相談くださいませ。出来る限りお力になりますから。」
「よろしくお願いします。頼りにしてますよ。じゃ、」
久しぶりに人との会話で普通に男として会話すると、なんだかおかしな違和感がある。
用が無くても時々はこうやって電話してもいいかななんて、里心の様なものも覚えた。
その気持ちを見透かすように、
「なんだかとても楽しそうですわね。ご相談が無くてもお電話は大歓迎でしてよ。」
と、オーナーの一言が返ってきた。
「えぇ、そのうちに……」
と、少々言葉に詰まる俺に、
「私の思った通り、メイク以外の素敵な素質が早くも発揮されるようですわね。では、
私もそろそろ自分のサロンにまいりますわ。ごきげんよう。橘様。」
なんだか意味深な言葉を残して携帯は切れた。
メイク以外の素質?まぁ、オーナーが見つけてくれているなら、俺に分らなくてもいい
か。

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