▼女装小説
薫風学園 高等部
作: 安藤 三智子
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都心の病院の最上階に案内され、なんだか冗談を言っている風でもないオーナーに、先
が読めない不安を感じつつも、何をするつもりかを聞くよりも、ただ黙って事の成り行
きに流されないようにする方が賢明だと感じた。
「橘さん、苦手な乗り物はございますか?」
「いいえ、普通の乗り物なら大丈夫です。都心から少しって、どの位の時間がかかるん
ですか?」
「ここから、30分程度です。」
「じゃあ、電車か車ですね。それなら問題ないですよ」
と、言い終わる前に、大音量のプロペラ音で、自分の声がかき消された。
オーナーが、にっこりとほほ笑みながら、こちらですとでも言いたげに視線を向けた先
には、ヘリコプターが近づいて来ていた。
都心の大病院の屋上から、ヘリコプターで、30分……
今まで経験がないだけに、事前に知らされていても、何の用意も出来なかったに違いな
い。
知らない分冷静でいられるのかもしれない。
「ヘリコプター、乗った事ございます?」
「すみません、ありません。」
「はじめは少し怖いかもしれませんけれど、飛行機が大丈夫なら、問題ないと思います。
まいりましょうか?」
「はぁ。お願いします。」
操縦士の手を借りて機内に乗り込むと、程無くして、東京が一望できた。
見る間に小さくなるビルの次には、緑鮮やかな景色に目が奪われた。
どこの県であるかぐらいは推測できたが、便利な街中に向かっているようでは無かった。
その、少し不安げな面持ちがわかったのか、
「すみませんが、学園の所在地は詳しくお教えできません。どこかに行かれる時には、
私にご連絡頂くか、学園長にご相談ください。ヘリをチャーターいたしますから。」
「あの、自由に外出は出来ないんですか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。ただ、交通手段がヘリと言うだけですわ。お気になさらずに、
お申し出下さいませ。」
「交通手段がないんですか?」
「はい。セキュリティーの問題で、外からの侵入が困難な建物を作るよりも、交通手段
の無い、人が侵入する可能性のない立地条件を選んだだけですから。それに、必要なも
のは、何でも揃いますから、ご安心ください。
すぐに慣れる事と思います。私もサロンがなければ、学園内で生活してもいいと思うほ
どですもの。」
「はぁ、そうですか。」
もう、現実に学園に足を踏み入れるまでは、何も考えない方がよさそうだと感じた。考
えても何も浮かばないし、想像を裏切られるだけで、疲れるだけの様な気がした。
「見えてまいりましたわ、あれが薫風学園です。」
オーナーの指さす緑の中に、小さな一つの町が収まっているような不思議なジオラマが
見えた。
近づくと洗練されたデザインの幾つもの建物が見え始めた。ヘリコプターは徐々に高度
を下げ、その建物の立ち並ぶ所から少しばかり離れた広い芝生のグラウンドに無事に着
陸した。

そこに待機していてくれた車に乗り込み、オーナーと、学園の門をくぐったのは、都心
から離れて、30分経った頃であった。
それを確認する為に自分の腕時計を見ていると、
「それはいけませんわ、私のものと交換いたしましょう。」
そう言って、オーナーが、俺の腕から男ものの時計を外し、自分のブレスレットのよう
にきらきらと輝く高価な(値段は定かではないが)時計を付け替えた。
「記念になればよろしいわね。」
「こんな高価なものはいただけませんよ。」
「では、無期限でお貸ししますわ、そのかわり、橘さんの時計を私がお借りいたします
。」
どこまでも頭の冴えている人だと感心していると、学園の門をくぐったようで、音もな
く車のドアが開いた。

「ごきげんよう、楓様、お噂の先生はこちらの綺麗な方ね」
「楽しみにしておりましたのよ、お名前は何ておっしゃるの?」
「ご講義はいつからおはじめになるの?」
「楓様とはどういうお知り合い?」
どんなにお嬢様でも、やはり可愛いものだと思いながら、無言の笑顔で流していると、
「皆様、先生がお困りになっておられるのがわかりませんこと?次の講義の準備をなさ
いませ、先生のご紹介は、明日の朝にいたしましょう。よろしくて?」
女生徒達の後ろから優しく洗練された言葉使いと、柔和な微笑みを伴って学園長らしき
ご婦人が現れた。
「わたくし達ったら、はしたない事をしてしまいましたわ、学園長のおっしゃるとおり
ね。皆様、次の講義にまいりましょう。」
「そうね。明日の朝のおめしものも楽しみだわ、楓様、ごきげんよう。そちらのお方も、
お逢い出来て光栄でしたわ、ごきげんよう」
花が咲き乱れるような華麗な笑顔で会釈をしながら、女生徒達は引き揚げて行った。
しかし、明日の御召物と言われると少々焦りを感じる。いったい何を着ていいものやら、
期待を裏切らない様に、傾向と対策は、あとで楓様(こう呼ぶんだな)に聞かなきゃい
けないな。流行のファッションではきっと満足してもらえそうにないようだ。そんなこ
とに思いを巡らせていると、
「ようこそいらっしゃいました。橘様。ここでは遼華様とお呼びいたしますわね。あい
にくですけれど、わたくしこれからイギリスに所用がございますの。すべて楓様に一任
していますから、学園内を探索するなり、分らない事をお聞きになるなり、ご自由に過
ごして下さい。明日の朝は、教頭の浅葱様から全校生徒に紹介して頂きます。お困りの
事はなんなりとお申し付けくださいね。この学園のすべての生徒の未来があなたによっ
て輝きます。プレッシャーにお強い方だと楓様から聞いておりますのよ。ぜひ、自由に
生徒達を育てて頂きたいわ。楓様、後の事はよろしくお願いいたしますわね。では、ご
きげんよう。」
と、自分のすべてを一気に話し終えて、車に乗り込む学園長が、目の前を通り過ぎた。
この人も物腰の柔らかさとは裏腹に、楓様同様、こちらに有無を言わせない完璧な人物
である。男はなんて可愛い器なんだろうと、今更ながら思い知った。
逃げ出せないと思う心と、逃げ出すもんかと言う心が、この先の学園生活を予知してい
たのかもしれない。
「遙華様、学園を見て回りますか?それとも、お部屋にご案内しましょうか?」
楓様の言葉に、これが現実の世界だともう一度認識した。その後、楓様に決意の意味を
込めて、女性らしく優しく微笑んで、
「では、お部屋で打ち合わせからお願いできますかしら?」
と、記念すべき第一声を発してみた。

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