▼女装小説
薫風学園 高等部
作: 安藤 三智子
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階段を登り切ると、『←(矢印)りさの部屋はこっち!!』の張り紙が貼ってある
のに、笑いながら従った先には、『りさ様降臨中!!』と、在室?を示すプレート
の下がった扉が見えた。普通のことでは我慢できない精神には、この時点で脱帽し
た。
深呼吸をして、さっき通り抜けた廊下の隅で、手のひらに人差し指で何やら書いて
飲み込む仕草をする若者の真似をしてからノックした。
「ごきげんよう。橘様」
扉をあける美寿羽オーナーの聞きなれた声に、緊張が解けるのが自分でもわかった。
「ずいぶん安心した顔になったねぇ〜」と、心理を見透かしたようにニヤリと笑う
里中りさに向かって、「オーディションを受けに来ました。一番、橘遼平です。宜
しくお願いします!」と、おどけて見せた。
「さすがにオーナーが選んだだけの人ね。あなたが今日のオーディション受験者だ
ったら、即、合格なんだけど……」と、少しだけ、悩んでいる顔が見えた。

部屋の中にはいかにも高級そうな一人掛けのソファーが3つ、扉から向かって左の
壁に向かって、半円を描く線の上に置かれた様に、少しずつ離して並べてあった。
その他にはパイプ椅子が二つ、刑事コントでよく見る小さな木の机。ソファーの背
後の壁には、大きな銀色の外枠に白の文字盤、よくわかる黒い数字が配置されたア
ナログ時計が、文字と同じ黒い針と赤い秒針で、正確な時を刻んでいた。

「早速オーディションを始めたいんだけど、橘君には今から入ってくる芸人志望者
をメイクで完璧に女にできるかどうかを見極めてほしいの。お笑いのことは私、ド
レスアップはオーナー、メイクアップが橘君という事。その理由は、オーディショ
ンの後で説明するから、良いかな?」
自分が座る右側、真ん中のソファーを俺に進めながら、手短に要点を伝えられ、頷
きながら了解を示し腰かけた。
「今日は20組、51名の男性ばかり。持ち時間は10分。何をしようがかまわな
いことになっています。とにかく自分達をアピールするようにと伝えてるんだけど」
そういうと、資料らしき書類の束と、赤鉛筆を渡された。
「始めましょうか!」
ひときわ大きな声でりさが言うと、扉の外から、
「一組目入りま〜す!!」と、スタッフらしき人の声が返ってきた。


「イチバンッ、ぱんぷきんパーティーッ!宜しくお願いしますっ!!」
スタッフから説明があったのか、俺の座っている2メートル前方に張ってある赤い
ビニールテープを確認し、3人が並んで頭を下げた。
それからはどの組も5分をネタ、後の5分を自分達のプロフィールに使い、オーデ
ィションが進んでいった。
審査をする方は、客観的に様々な分析をするから、鉄板ギャグを連発しても笑わな
い。
芸を見て笑うスタンスではないだけの事なんだが、オーディションを受けている側
は笑わない3人に自信を根こそぎ引き抜かれたような表情で静かに退室してゆく姿
が痛々しかった。特にりさの表情は厳しかった。何を審査基準にしているのか分か
らない俺には、聞きたい事が次々湧いてきていた。

「橘君、4番と13番は、やっぱり無理?」
「4番は……ボクシングのライセンスを持ってるっていう二人……」
「そう。13番は、右側にけっこう筋肉質で長身のがいたグループ」
「メイク的にはダメな人はいないんですよ。清楚にするか、煌びやかにするかは、
別として、女性にも様々な顔があるのと同じ、可愛い女の子でもお父さんとそっく
りだねって子がいるわけで……だから俺の見てたのは、可能か不可能かではなく、
どんな女性になるだろうって観察してたんで……スイマセン、趣旨からそれてたか
もしんないっすね……」
「いいえ、頼もしい答えだわ。じゃあ、どのこも大丈夫ってことでしょう?」
「えぇ。メイク的には全然OKです」
「オーナーはどう?」
「橘様のお答と同じですわ。体型を強調するドレスアップがあれば、体型をカバー
するドレスアップもあります。今回の皆さんの中で一番身長の高い方でも184cm
でしょう?
モデルならたくさんいらっしゃいますし、別に日本人女性に変身することを指定な
さっていないでしょう?」
「なぁんだ!二人にかかればどんな男性でも変身可能ってわけね?先に趣旨を伝え
れば今回のオーディションいらなかったんだぁ〜」
「りさ様、声が大きすぎます。外の方々に聞こえますわ……」
美寿羽オーナーが小声で促すと、
「みんな合格よぉぉぉ!!!」
と、満面の笑みで忠告を吹き飛ばして叫んだ。
「うちの劇場はね、真剣な人には必ず舞台は用意するの。オーディションは真剣か
どうか、お笑いを好きかどうかを見てるの。何となくだとか、楽そうだからとか、
人が自分のことを面白いっていうからだとか、そんな人間はいらない。初めの動機
は何でもいいけど、舞台にあがるチケットが欲しいなら、好きな人間でないと努力
しないし、悩まないもの。笑いは本当に人生に大切なものだから。ただし、合格し
てからが大変なの。うちはね、舞台の後、私やスタッフがとことん説教するから。
厳しく理不尽に扱われて嫌になってやめるなら早い方がいいもん。この世界は……」
本当にお笑いが好きで、お客のことはもちろん、お笑いを目指す人間のその先の人
生まで考えている。りさ様って呼ばれてもいい人物だと目の前の彼女に、自分もこ
のぐらい配慮のできる人間になりたいと思った。
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