▼女装小説
L' oiseau bleu
第八回
【白昼夢】
作:カゴメ
18P

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待ち合わせの場所に最初にたどり着いたのはミチルだった。梓から受けた連絡のとおり
に海岸線を歩くと、道路を挟んだ右手に『九郎人』の看板がある。こじんまりとした店
の前には何人かの行列があって、体格のよさそうな男性ばかりだ。現場仕事らしい彼ら
の腕は日に焼けて赤黒く日焼けしていて、皆一様に首に白いタオルを巻いているのが印
象的だった。
「お昼、あそこなのかな」ミチルは体温が否応なく上昇するのがわかった。
数分もしないうちに、プリーツスカートを柔らかく揺らしながら近づいてくる環の姿が
見えた。

「……ナカジさんって、変わったこと詳しいんだね。ちょっと意外な感じ」ミチルは朝
の話を、とりあえず誰にでもいいから話したかった。とはいうもののその相手は『街』
のなかで約二名に限定されているのだが。
「あの人、元々よくわからない所があるから。別に興味も無かったけど」
「相変わらず冷めてるのねえ。若いんだから、色んなことに首突っ込まなきゃ」
海岸を見渡せる堤防に腰掛けると、水着姿で走り回る子供たちの姿が目についた。以前
は自分もああして砂浜を走り回ったり、海を泳いだりしたことがあるのだろうか。
「それは梓の仕事。まあ、その……未来だか、過去だかって話は面白そうだけど。結局、
君の記憶の手がかりって本当にその植物園と、銀の鐘しか無いの?」
「あったらもっと環クンやあずとたくさんの話が出来るよ、きっと。早くそうしたい、
って思う。過去から来る間に忘れちゃったのか、未来から来るときに失くしちゃったの
かはわからないけど」
環は軽く腕組みをする。日焼けもしていない薄白く、細い腕を見て女の子の服を着るに
は恵まれた体格だな、とミチルは思う。
「まず過去説を裏付けるには、銀色の鐘が以前に存在したかどうかを確かめる必要があ
るね。でも、あそこの植物園には、そんなオブジェは過去にもなかった。もちろん君の
記憶の植物園が、他の場所にあったとしたら別だけど。それと未来説だけど、発生して
いない事柄が記憶から消えたんだとしたら、君が今ここに存在してること自体に疑問が
ある。だって君はこの時間では、まだ生まれてないってことになるんだから」
さすがに男の子、興味を示したことにはやたら理屈ぽくなるものだ。ミチルは環のそん
な考察に黙って耳を傾けていたが、ふと目の前から歩いてくる人影に気が付いた。
両手に広げた地図らしき紙を覗き込んでいる、多分少年だろう。この『街』のどこかを
目指しているのだろうか。ミチルは何となく、その少年につい数日前の自分自身を重ね
合わせるのだった。
……橋が結構複雑に繋がってるから、しっかりね。

その横をグレーの車がややスピード違反気味に走り抜けるのと、少年が額の汗を拭こう
と右手を離したのはほぼ同時だった。巻き起こる風圧で空中に舞う地図はそのまま堤防
を越え、砂浜脇の打ち上げられた海草を集めてある一帯に落ちた。
その困ったような顔は、環やミチルよりもさらに幼そうな風貌で、けれどその卵型の顎
にかけてのラインと黒飴のような丸い瞳とすらりとした鼻筋、薄い唇は人の目を引き付
ける。わかりやすい美少年だ。
「あ、地図……」堤防へと駆け寄ってきた彼の動きに反応して、ミチルは砂浜へと飛び
降りる。
手にした地図は少し濡れてしまったが、使用にはさしつかえなさそうだ。後から降りて
きた少年に、それを手渡ししてやる。
「はい、ちょっと潮臭くなったね」
「すいません……ありがとうございます」おずおずとした口調で喋る少年は、猫背気味
に身を屈めた。頭を下げたつもりなのだろう。
「君、どこに行こうとしてるの?」
「いえ、その……場所はわからないんですけど。人を探してるんです」環は飛び降りず、
数メートル離れた石段から砂浜へと向かってきた。ローファーに砂が入るのを嫌って極
力防波堤に近い位置を歩いている。
「中島薫(なかじまかおる)、って人なんですけど。ご存知無いでしょうか」
「さあねえ……私もこの『街』の人間ってわけじゃないから。環クン、知り合いにいな
い?」
「それだけじゃわからないよ、珍しい名前でも無いし」その声を聞いた少年は、驚いた
表情で環をまじまじと見つめた。何かを言いたそうで、けれどその唇だけは酸欠の魚の
ようにぱくぱくと動いている。
「何だよ、失礼な子供だな」言葉はともかく、環自身もこうした周囲の反応には辟易す
るほどに慣れていた。苦笑さえ浮かべている。
「でも、どこかで聞いたような名前の気もするんだけど」そう環が口にしかけた時。
「ちょっと二人とも、何してるのよ? 早く食べに行くよ」防波堤の上から、梓の声が
する。
「ねえ梓、ナカジマカオルって名前知ってる?」問いかけたのは環だった。陽射しの影
になっていた彼女が怪訝な表情を浮かべたのが見える。
「知ってるもなにも、それって」環とミチルの丁度間にいる少年が、最も早くその言葉
に反応した。
「ナカジさんの本名じゃない」

「……で、あんたは結局こんなところまで来たわけか」一オクターブほど低い声で、ナ
カジは目の前の少年を見つめている。いや、そんな生易しいものではなく不快感をにじ
ませて睨み付けている。
「ごめんなさい」彼は消え入りそうな声で、謝罪の言葉を述べる。
「でも、何で? あの女に言われて? それとも叔父さんたちに言いくるめられたか」
突き刺さりそうな険悪な雰囲気が漂うナカジの部屋は窓からの微弱な風しか吹き付けて
いないのに、寒々しさすら感じる。
「確かに色々な人に色々なこと言われて来たけど、僕は」少年の言葉を無視して、ナカ
ジは冷蔵庫からオレンジジュースの缶を取り出した。
「まあ遠路はるばる来たんだから、ジュースくらいはご馳走してやるよ。それ飲んだら
さっさと帰って伝えてくれる? 文句があるなら親父に言ってくれってさ」
「ちょっと、何がどうなってるの? この子、あんたの知り合い?」梓が苛立たしげに
割って入る。
「どうでも良いじゃん? プライベートな事だし、報告する義務もない。お昼でも食べ
ておいで」ウルフヘアをかき乱していた手で、追い払うような仕草をする。
「そんな言い方こそ無いじゃん。ねえ君、あの人とどういう関係なの」ひるむ様子も無
く梓はテーブルのジュース缶を寂しげに見つめる少年に問いかける。
「弟、です」
「違うって言ってるだろ!」
即座に激高したようなナカジが声を荒げた。それまで無言で事のなりゆきを見守ってい
たミチルが、びくりと背中を振るわせる。
「きょうだい……?」環は言われてみれば容姿にどことなく共通点のあるような対照的
な表情を交互に見つめるのだった。

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