▼女装小説
L' oiseau bleu
第五回
【Sea Wind】
作:カゴメ
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堤防側を抜け、海岸線に沿って続く路を歩くうちに気付いたことをミチルは口に出して
いた。
「よく他の人とすれ違うね。 昨日この道歩いた時は、誰も居なかったのに」
「ああ……そろそろお祭りが近いから、準備しに『大陸』から戻ってきたのが増えたん
だろ」
「お祭り? そんなのあるんだ!」年頃の少女らしい感嘆の声を上げたミチルに、環は
ふと笑みを零す。 自分でも気付かないほどの、微かな笑みを。
「どこにだってあるよ、お祭りくらい。 ……こんな、いつ無くなるかもわからない所
にだってね」遠い目がただ広がる蒼を映している。 それは果てなく続く空の色なのか、
陽光に照らしだされる水面なのか。 
「ねえ、どんなお祭りなの?」
「『街』全体に見えるように、花火が上がるんだ。 夜の間ずっとね。 小さい子が仮
装行列に群がったり、出店で外国の珍しい料理が振舞われたり、大人だって昼間から酒
を飲んで騒いで……この海岸なんかも出店がずっと並んで、賑やかになるんだ。 それ
が、三日くらい続いて――最後の日には」そこまで口にして、路の向かい側から聞こえ
る話し声に環は思わず振り返った。
「……あれ? あそこにいるの、環ちゃんじゃね?」
「本当だ、おっはよ−、環ちゃん!」
ラフな私服の二人組の男女に曖昧に頷く姿を見てミチルは直感的に、彼らは友達と呼ぶ
ほどには距離の近くない――例えるならクラスメートなのだろう、と思う。
「おいおい、補習に同伴出勤?」背の高い男はさも呆れた、と言いたげな笑みを浮かべ
た。 彼女らしい茶色の髪をツインテールに束ねた女の子は不躾な視線をミチルのほう
へ向け、時折値踏みをするように頷いている。
「そっか、環ちゃん補習中かぁ。 やっぱ日数足りてないもんねー、明らかに。 二学
期からは真面目に授業受けなきゃダメよぅ?」小馬鹿にしたような甘い笑い声が響く。
環は彼らから視線を外そうと、俯いた姿勢を崩そうとしない。 怒りにでも悲しみにで
もなく、両肩が震えている。
「そりゃお前だって、授業出たいよなぁ。 そんな格好してないで普通によ」
「ねぇカノジョ、知ってる? 環ちゃんてばいつも女子の制服着て学校来てるから、先
生が怒って教室入れてくれないの。 勿体ないよねー、折角可愛い女の子になれてるの
に」
……ああそうだよね、あんた負けてるもん、環クンに。
「そうそう、たまに学校来てても誰とも話さねぇし。 花子さん入ってるぜ」
……私だって、あんた達みたいな連中と話したいって思わないよ。
ミチルの不快感が顔を強張らせつつあるのを知ってか知らずか、女の子は押し黙った二
人にきょとん、とした表情を浮かべる。
「ま、そんなことよりも……カノジョ、お名前は? 環ちゃんとは何処で知り合ったの?」
「おう、紹介くらいしてくれよ、環ちゃん」男の手が環の肩に触れたとき、
「私、記憶喪失なの」強い語気に、その場の誰もが目を丸くする。
「自分の名前も、おとといより前のことも何も覚えてないの。 でも便利よね、記憶喪
失って。 嫌なこととか気に入らない人間の顔まで全部簡単に忘れられるんだから! 
初めから、無かったことに出来るんだから! だから紹介されたって、あんた達の顔も
名前も覚えない!」

                ※   ※   ※

「あれが、補習の理由……か」
ミチルは堤防の上をゆっくりと歩を進める。 両手を広げて、時々軽くスキップをする
ように跳ぶ。 無言のまま歩道からその姿を見上げる環の額には少し汗がにじんでいて、
このままなら学校に着く頃には化粧が崩れているに違いない自分の顔を見るのが恐ろし
くなる。
「ねえ、環クンのお母さんって、どんな人なの?」その問いに、思わず環の足は止まる。
「どういう事?」
「息子をここに置いて、自分は安全な『大陸』だとかで暮らしてて……女の子の服を着
てる環クンが学校であんなふうに苛められてることも知らないなんて、ちょっと変だよ」
「君に何がわかるんだよ!」
ひどく感情的な怒声だった。 そして、ミチルの足も止まる。
「……ごめん」どちらからともなく、互いに同じ言葉が出た。
環は人前で感情的になったことを悔いていたし、ミチルはただ、環の触れて欲しくない
箇所に爪を立てたらしいことだけは理解できた。
(でも)そして思う。 何が彼をそうさせているのか。 何時までも、彼はあんなふう
に過ごすつもりなのだろうか。

「ねえ、さっきのお祭りの話なんだけど」
学校と郵便局の分岐点となるT字路に差し掛かったとき、無言だったミチルはふと口を
開いた。
「最後の日には、何があるんだって?」
「まぁ、それなりにいろいろ……あるんだよ。 当日までの秘密。 大体それまでに君
が記憶を取り戻したら、この『街』にはいないかもしれないだろ?」
「何よそれ、そんな思わせぶりな話されたら、お祭りが終わるまでずっとこの『街』に
居たくなるじゃない」
「ちょっとしたイベントがあるんだよ……お祭りの起源になった昔話にちなんだ劇みた
いなのがね」
「どんな、昔話なの?」
「忘れた。 確か神様同士の恋愛がどうとか、動物に恩返しされる話とか、そんな内容
だよ」
「つまり、どこにでもあるような、誰でも聞いたことがあるようなお話、ってこと?」
「思い出したら、話してあげるよ。 それじゃ」小さく手を振る環の後ろ姿が徐々に遠
くなってゆく。
「あ。そうだ」その背中が、不意に立ち止まる。

「さっきは、ありがとう」

風に運ばれなければ聞こえないほどのか細い声が、ミチルの耳には確かに届いていた。
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