▼女装小説
L' oiseau bleu
第十一回
【ほら、離せないぼくらのせかい】
作:カゴメ
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『街』で唯一営業しているレンタルビデオショップの店内には、意外にも客数が多い。
祭りの開催を控えて帰省しているものが多いためか、むしろ日頃よりも混雑しているよ
うな気さえする。梓は借りていたものを返却するだけだったのだが、延滞料金を支払わ
ねばならずレジに並ぶこと十分を経て基本料金の倍程度の金額を取られた、とぼやいて
いた。
「せめて観てから返せば良かったのに、もったいない」こと金には細かい、というより
も既に意地汚いのレベルに近い彼女の行動としては理不尽だ。
「急に外に出たくなっただけだよ」
「だったら、何で僕を付き合わせる?」店の前の、屋根がせり出している部分で待って
いた環はレインコートをしとどに濡らしている。それはもちろん梓もなのだが、小柄な
彼女の身体はコートにすっぽりと包まれていて、環のように胸元や手首の隙間から雨が
入り込んで服を濡らすということは無かった。
「ミチルちゃんには頼めないし、ナカジさんには断られるに決まってるから。まあいい
じゃない、お礼にこれからお菓子ご馳走するから」
梓が指差した方向から察するに、駐車場を挟んで向かいに併設されているハンバーガー
ショップの新商品、ハニーパウンドケーキのことだ。
「自分が食べたいだけじゃないか」
「環ちゃんは、食べたくないの?」コンクリートで舗装された路面に出来た水溜りを飛
び越えながら駆け出す梓に続いて、水しぶきを蹴り上げるように距離にして百メートル
程度離れたハンバーガーショップへと渋々向かった。

家から持参した傘は、帰り道の途中で強風に巻かれて骨の部分が二、三箇所折れてしま
った。仕方なく梓の傘に、持ってやる代わりに入れてもらう。柄の部分が長い当然女性
用のものなのだが、開くと環のビニール傘よりは大きいのが意外だった。
「暇なやつが多いんだな」ふと環は、そう口を開く。ハンバーガーショップで飲んだバ
ニラシェイクの味がいまだに残っている。そこで働いている店員は雨風関係なく出勤し
なければならないので仕方ないが、ところどころ空席があるとはいえ店内は最接近して
いる台風など関係ないかのように賑わっていた。
「この天気だからこそ外に出る、って人も多いんだよ。暇なときって家にこもってると、
どんどん気持ちが滅入ってくるじゃない。特にこんな雨のときとかは、ジャンクなお菓
子なんかが無性に食べたくなるんだよ」
確かに梓から分けてもらったケーキは、雨の中を歩いて疲労した身体に心地よい甘みに
は違いなかった。DVDを返しに来たのは、その口実でもあったのか。
「じゃあなおさら、あの子連れてくれば良かったんじゃない?」
なぜか梓は、何も答えない。雨粒が傘を叩きつける音だけが二人の間に流れている。
環も押し黙ったまま海岸に沿った分岐路にたどり着いたとき、梓はなぜかアパートとは
反対方向へと歩き出した。初め環は押し寄せる高波を避けるためなのかと思ったが、す
ぐに慌てて声を掛けた。
「おい、そっちは――」ふたりが通う学校へと続く路だ。

                ※   ※   ※

ナカジは本を読むほうなのか、紙製のカバーがつけられた文庫本が部屋のあちこちに積
まれている。そのなかからかろうじてタイトルを覚えていた『礎に生まれる曙と暁』を
拾い出した。改めて表紙の裏側に書かれているあらすじを読むと面白そうな雰囲気が伝
わってはくるのだが、中身となる文章を数ページ読むと、軽く眠気がよぎる。
「それ、あんたの本か。ちょっと見せてみ」ミチルは言われるままに、ゲームを中断し
たナカジに手渡す。数分間パラパラとめくっていたが、すぐにテーブルの上へと放り出
した。
「だめだ、これ同人誌かなんかだろ?」
「え? どういうことですか」その意味も把握できないまま、ミチルは質問を質問で返
した。
「この前話しただろ。もしあんたが本当に未来から来たとしたら、本の奥付にその本が
何年に発行されたのか書いてある。もしそれが、聞いた事も無い年号ついてるならあた
しの説はある程度正しいことが証明されるってわけ」
「ある程度、ですか」
「でもこれは奥付どころか出版コードもついてない、本屋じゃ買えないものってことさ。
それにこのタイトルに作者――」言いながらナカジは、ノートパソコンのキーを乱暴に
叩き始める。インターネットの検索エンジンにアクセスしたようだ。
「どうやって調べてもそれらしい名前は見つからない。同人やってる奴ならサイトくら
い持ってても不思議じゃないんだけど。待てよ、だとしたらなおさら未来の奴かも……」
そう言いながら調査を続けるナカジが、どことなく楽しげに見える。ふとミチルが積ま
れている文庫本の一冊を取り上げて中身にさっと目を通すと、殺人事件の謎を解く探偵
小説だった。

                ※   ※   ※

南方の国の植物と思われる、図鑑でしか見ないような極彩色の花をつけた木々が目の前
に立ち並んでいる。その間の暗闇を手探りで進んでゆくと、二つの光点が灯る。誰かの
目だ。男のものかも女のものかもわからないそれは、こちらとの視線をぴったりと合わ
せたまま付いてくるよう誘う。腕を掴まれているわけでも、恫喝されているわけでもな
いのに拒否の意志はその眼力ともいうべきもので否定されている。しかたなくその後を、
闇をかきわけながら進んでゆくと一見倉庫のような、打ちっ放しのコンクリートがむき
出しにされた部屋へたどり着いた。その隅に、ダンボールの箱がひとつ置かれている。
『開けろ』というやはり男のものか女のものかわからない声がするので口を塞いだテー
プを剥がし、その中身を覗き込む。
そこには銀色の、先端に薔薇のつぼみをあしらった小さな指輪がある。つぼみの部分は
ルビーになっていて深い赤の輝きを放っていた。左手の指にはめようとするが、輪の部
分がひどく小さなそれは小指にすら収まらず、子供の玩具としか思えなかった。
そのとき突然、自分が夢の中にいることに気づく。八時には起きなければ約束の時間に
間に合わなくなる、そんな焦燥感がこみあげて懸命に目を覚まそうとするが霞のかかっ
たような夢の世界は周囲を押し狭めるかのように開放してはくれない。何度まばたきを
繰り返してもそこは変わることのない、冷たいコンクリートの壁だ。
そして彼女はひとつのアイデアにたどり着いた。夢のなかで命を絶てば、現実に転生す
ることが出来るのではないかと。その考えに呼応するように、足元が突如野生動物の遠
吠えのような音を上げてひび割れた。走る亀裂がたやすく身体を飲み込み、寄る辺を失
って降下してゆく。眼下には白い雲の海が広がっていた。その流動するなかへゆっくり
と、あるいは急速に身体が小さくなってゆく。意識と肉体とが、切り離されてゆく。

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