4・
帰宅してから、足元がふわふわとしている感じだった。
スターバックスを出て、買い物をするので、と矢内原と交差点で別れてから、時間をつぶすように遠回りしてハイツへ戻ってきた。今、彼が在宅かどうか不明だが、若葉は物音を立てないように室内を歩き、流しで洗い物をするにも、水量を少なめにしている。二軒向こうのアパートまで聞こえるはずはないのだが。
矢内原には、さっき、すべてを話したわけではなかった。
行きがかり上、都合よく言い換えた部分もある。
女装する老人男性に会ったのは、この街ではなく、半年ほど前、別の街のマンションで恋人と暮らしていた頃のことだ。
老人は同じマンションの一階に住んでいた。
彼が女装趣味の秘密を打ち明けたのは、若葉が上階の住人だと知ったからだと思う。もっと言えば、ドラッグストアで声をかけてきた時点で、若葉だと分かっていたのかもしれない。
当時、若葉は同棲中の恋人と日常的に喧嘩をしていた。窓ガラスを割る騒ぎも起こしたし、大声で泣き喚くこともあった。上着もつけず部屋を飛び出して、玄関ホールで深夜にうずくまっていたこともある。そんな姿を、老人はどこかで目にしたのだろうか。
ある晩、喧嘩の後、ぷいと背中を向けたまま、すぐに安らかな寝息をたてはじめた恋人の背中に、鋏をふりかざす衝動にかられたことがあった。その日を境に、恋人が平和な顔をしている時や無防備な状態の時に、若葉は刃物を手にする妄想をするようになっていた。それを実行した夢を見て、妙な汗をぐっしょりかいて夜中に起きることもあった。
あの日、ドラッグストアで声をかけられたのは、そんな状態のピークだった。老人に声をかけられたから、マキロンとオロナイン、アイスノンが入った籠に、入浴剤やのど飴を足して誤魔化したのだが、本当は、自分の両手を縛るための包帯も一緒に買うつもりだった。
喫茶店で向かい合って、若葉の顔や手の甲の痣や傷に気付いたはずなのに老人は何も訊かず、代わりに自分の密やかな趣味について滔々と話したのは、若葉の事情を見通していたからだろうか。
途中まで、かしこまって聞いていた若葉も、購入した化粧品についてアドバイスを求められたり、ファッションのポイントなどを尋ねられると、知らず知らず、先輩口調で答えていた。帰りしな、参考になればと書店でファッション誌を数冊選ぶときは若葉の方が積極的だったくらいだ。
老人は金銭的な面での苦労はなかったが、周辺の人間に秘密にすることが最重要だったために、女装をする上では叶わぬことがいくつかあったらしい。
振袖を着てみたいが着付けが出来ないし、メイクやマニキュアが理想どおりにできないのはもどかしかったようだ。
老人と会った日の夜から、若葉はインターネットで女装について調べはじめた。平静を装って別れたものの、本当は他人の秘密を聞かされたことと、内容そのものに衝撃を受けて、気持ちのやり場に困っていたのだ。同棲していた恋人には、鼻で笑われそうで、何かを台無しにされそうで口に出来なかった。
ネットの中には、女装をたしなむ男性が立ち上げたサイトやブログが多数存在した。ある時恋人女性からいたずらでメイクや女装をさせられてはまってしまった、という馴れ初めや、別人に変身すると仕事のこと家族内のごたごたを忘れられる、誰にも会わない街に旅しなくても手軽に自分を消せる、という告白もあった。
そんな中、老人男性の希望を叶えられそうな専門のサロンがあるのを見つけた。女性でいうエステとか、メイクサロン、そして変身体験のフォトスタジオなどの要素を備えたサービス施設だった。サロンを利用しているゲストの写真を閲覧したところ、年代も体系も様々な男性が、自分でつけたらしき思い思いの女性名で、それぞれ様々なコスチュームに身を包んでポーズをとっていた。万一、自分の父親がそこに載っていても若葉は気付かなかっただろう。ともかく、変身バリエーション(髪形、服装から全体の雰囲気まで)の豊富さは、きっと老人の眼鏡にかなうはずだった。
次に会った時に、そのサロンのことを老人に知らせるつもりだった。喜ぶ顔を期待していたし、すぐにでも近所で顔を合わせると思っていたのに、それからぱたりと、姿を見なくなったのだった。
老人が亡くなったと知って、プリントアウトしておいた女装サロンのサイトの連絡先と、サロンの提案するメイクと女装に関する基本アドバイスの二枚が、行き場を失った。なによりも、盛り上がり始めた若葉の気持ちが、宙ぶらりんになってしまった。
それまで、喧嘩や暴力が激しくとも若葉が恋人と別れなかったのは、嵐の後から次の嵐までの平和があるからだった。立ち読みした精神科カウンセラーのQ&A本で調べると、若葉と恋人との関係は、世間では共依存と呼ぶらしかった。もうひとつは、恋人と同棲に至ったことで、家族や友人からほぼ縁を切られていたというのもある。恋人には当初妻も子もいたので、親身になって反対して助言してくれた人を振り切って、むしろ反発するように付き合いを断行した若葉は、いざ恋人が失業して関係がおかしくなってから、頼るべき存在を失っていたのだった。
あの老人が声をかけてこなければ、どこまでも続いていただろう。
老人の死を知ってから数日後、ネットで見つけた女装サロンをひと目見ようと、若葉は最寄り駅である横浜に向かった。サイトではサロンは完全予約制で場所も非公開だったから、実際に見つけることはできないと知っていたが、横浜西口へ出て、いくつものビルを見上げながらオフィス街へ抜ける道をぶらぶらと歩いているだけで、若葉はくすぐったい気分になれた。ヘンデルとグレーテルが見つけたお菓子の家を森で探すような、リアルな言い方をすれば、中学時代に好きな男子の家を探して歩いたような感覚だった。
その帰り、上り電車ではなく下り電車に乗る気になったのは、ホームでハンチングを被った紳士(あの老人に酷似していた)を見かけたからかもしれない。よるべない気持ちのまま、階段を下りる人の波に逆行して、下りのホームへと向かっていた。
途中、大きめの駅(ホームが複数ある)で人が固まって降りて、同じ様な駅をいくつか過ぎた時には、座席のほとんどが空いて、立っている乗客は扉付近の男子高生とOL(両方携帯をいじっていた)くらいのものだった。車窓からの景色は、住宅やビルから山の緑へと変わっていた。乗客が減るたび心細くなっていた若葉は、次に多くの人が降りた駅で、耐え切れず一緒に降りた。
8台ほどならんだ改札の真上に、「ようこそ○○へ」という横断幕と、ご当地ものらしき、求肥で包んだ果物らしき銘菓の看板があった。
観光客で賑わう商店街から一本入った筋の、個人経営の不動産の店頭で立ち止まっていたのは、それから10分後のことだ。
たしかに、恋人と暮した部屋を出たのはほとんど夜逃げ同然だったし、北朝鮮からの脱北者のニュースを見ると、恋人の留守中に荷物を運び出したあの晩を思い出すこともあるが、引っ越しの思いつきは、あの時ホームを逆行し、人につられてJRを降りた流れの延長なのだった。
「そんなに退屈なら、区役所辞めて、好きなことで食べて行けばいいって。応援するからさ」
流通系のカメラマンだった恋人はよく、そんな風に言っていたが、ボーナス時は財布をあてにされてヨドバシカメラに連れて行かれたし、肉が食いたいなどとせがまれたものだ。
「もっと、お前の能力を生かせることを見つけた方がいいよ。毎日、生活相談窓口で蜂駆除したり、ごみ屋敷の苦情聞いたり、他人の人生の世話ばかりで生産的じゃないじゃない。勿体ないよ」
若葉が区役所の青少年育成推進課にいたころ、企画した写真教室の講師として来てもらったのが彼だった。知り合った当時、彼は報道写真をやりたいと口にしていたし、ロバートキャパの話をよくしていたものだった。いずれは戦地や紛争地に赴くかも、と真摯な目で話していたものだが、実際にイラクで戦争が始まってからは、これからは道ゆく普通の人々を撮るんだと言うようになった。同棲してからはギャラの話や、同業者の悪口も増えた。時にはスタジオでの撮影の手伝いに借り出された(衣類のアイロンがけや綿入れなど)し、その作業自体は楽しかったが、打ち上げの支払いを任されて、財布にある金額をオーバーしているときは、若葉は自分のポケットマネーからお金を出さねばならず、そんな時、「今、妻っぽいことしているな」と思うよりは、むしろ、黒子の衣装を身につけた自分をイメージしてしまうのだった。
辞めろ辞めろとすすめられていた頃は、現実味がまるでなかったのに、女装サロンを探しに行って、そのまま違う路線に乗って行き着いた駅の不動産で8畳一間のハイツを見つけた時には、『通勤』のことなど頭からすっぽり抜け落ちていた。
敷金が15万だと確認した若葉は、給与振込に利用している銀行と郵便貯金の残高をノートにてきぱきと書き出し、あの二つを合わせた全財産で、新生活はどれだけもつだろうかとアバウトな計算をしてみた。両方の残高が3万円を切るくらいまで、何もしないであの街で暮してみよう、と思いついたときには、「自分をほめてあげたい」とコメントしてしまいそうなテンションだった。所持金が底をつきたらその時しだいだけれど、いざとなれば死という選択肢もあるかな、というニュアンスだった。
そんなこんなで、恋人と暮したオートロックのマンションから築15年のハイツでの一人暮らしに替わって、ドライクリーニング専用の素材やアイロンが必要なものから、洗いざらしのくすんだ色の服を着るようになった。化粧も日焼け止め程度になり、ひとりなので外食をしてもランチどまりになった。書店で本を買うのをやめて、図書館でミステリーや文豪の小説、児童書などを借りて読むようになった。唯一の贅沢は、図書館帰りの喫茶店くらいだった。
それが、美容室で5,000円も支払ったのだから、大した出費なのだった。
風邪を引いたらしく、次の日からほぼ一週間、若葉は寝て過ごすことになった。
その間も、トイレに立つたびに、あるいは水を飲むたびに、浴室の窓から矢内原の部屋を覗いていた。
矢内原の手持ちの服は思いの外少ないようだった。洗濯機も持つ気がないのか、その日着た物をその日のうちに手洗いしている様子だった。仮住まいをいつまで続けるのか、仕事はいつまで休むのか、ここへ来たのにはどんな理由があるのか、その静かな生活からは想像もできなかった。