▼女装学 日本聖公会中部教区 司祭 後藤香織様との対談
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4.聖職と女性として働くことについて



聖職とトランスセクシャルについてお話を伺いたいのですが…。
後藤 同性愛の問題がひとつあるのです。海外では同性愛の方が高位の聖職者になっていますので、今そのことが議論になっています。日本で私の属する教派にも、セクシャルマイノリティの聖職は何人かいらっしゃいます。しかし、日本においてカミングアウトしているのは私くらいです。アメリカの場合などは、ゲイとかレズビアン、トランスの方が聖職に付くということは現実に起こっていることなので、それが分裂の危機になる程の問題点のひとつとなっているのです。
それに関係している部分では、結婚式があります。基本的にキリスト教では、創世記の最初の部分の、「神は人を…男と女に創造された。」に基づいて結婚があると考えますので、結婚は異性とで無ければならないと多くのクリスチャンは考えます。ところが、アメリカやカナダの私の所属教派では、既に同性同士の結婚式を始めていますので、それに対して保守的な教派から同性婚への反対があるのです。
今の世界情勢を垣間見ますと、色々な国で徐々に同性婚を認めつつあるように思います。
後藤 そうですね。
女装した時だけ男性の方と擬似恋愛をされる方も結構いらっしゃいますが、キリスト教の中ではその点も問題となり得ます。
女装の世界では遊びと大目に見てもらえることでも、人によってはそういうことに非常に抵抗を感じる方も多くいらっしゃいますので、注意しなければなりませんね。
トランスセクシャルに関することは、知識が深くないので分かりませんが、同性愛に関しては難しい面を感じます。
後藤 本当のところはわかりませんが、キリスト教では、トランスセクシャルのほうが受け入れやすいと言われています。実際に他の教派ではカミングアウトされている方も結構多くいらっしゃいますけど、私の属する教派では、私自身のことや知人などを通してカミングアウトする難しさを痛感しています。
トランスセクシャルのほうが受け入れやすいとは意外な感じがします。
後藤 そうですね。今は、こうして働けていますけど、受けいれてもらうのにはやはり時間がかかりました。
えー!
後藤 この状態で働くことは難しいのではと言われたこともあります。
一般会社よりも宗教がからむ分大変なのではないのでしょうか。
後藤 特にキリスト教では、セクシャルマイノリティに批判的な方は、聖書に「ダメ」と書いてあるという指摘をされます。そういう方とのやり取りが凄く大変です。批判が目的で、基本的にこちらの話を聞こうという姿勢はお持ちではありませんから…
失礼とは思いますけど、後藤さんの存在を知った時に、確か聖書の中に(どこの部分なのかまでは分かりませんが)書かれていると記憶しているのですが…。
キリスト教の宗派によっても、解釈が異なると聞いていますが、その辺はどうなのでしょうか。
後藤 世界的にみると私の属する教派は、女装やセクシャルマイノリティに対する許容度は高いほうなんですけど、先ほど触れましたように教派を分裂するくらいの大問題になっているのです。
そして、確かに(聖書の内容:申命記の22章5節「女は男の着物を身につけてはならない。男は女の着物を着てはならない」と)書かれてはいます。しかし、それはただ単に服装のことについていってるのではなくて、当時の文化的背景(神殿男娼や娼婦)のことを指してNGと言っているので、異性装を禁止しているのとは本来違うのです。現代では時代背景も違っていますし、女性はパンツ(スボン)を普通に穿いていて、実際には守られていない決まりですから、ここだけを取り上げて議論するのはおかしいと言えます。
歴史的には、ジャンヌダルクが、この決まりに反したとして処刑されていますが、その理由は、当時男性だけが身につけていたパンツを穿いただけなのです。それ以外のことでは、罪に問うことができなかったので、無理矢理こじ付けたのですけど、この箇所の規定を文字通りに適用した例ですね。それが絶対なら、現代では多くの女性がこの規定に違反することになり、処刑されないといけなくなっちゃいますよ。
当時の時代背景があってのことですね。
後藤 今はそんなことできませんけど、ジャンヌダルクの時代は、こじつけにせよこの箇所で処刑がなされてしまった箇所なのです。「ダメと書いてあるから」で済むような簡単な問題ではないのです。
歴史の積み重ねで今があるので軽んじてはならないと思いますけれども、時代と共に緩和されてきているのですね。
後藤 そうですね。
でも、私も今の状態で働けるようになるまでに色々とありましたよ。本当は、単に趣味であっても良いと思いますけど、一般的に女装=遊びと捉えられるところもあって、「後藤さんは本当にトランスセクシャルなのですか?」とか、「趣味とは違うことを証明できるものはありますか?」と言われ、趣味ではない証拠として性同一性障害の診断書を要求されました。
私も昔、単純にそう考えてしまった時もありましたけど、その辺はどうなのでしょうか?
後藤 以前から性同一性障害の診断を受けていましたので、診断書を提出しようと思ったのですが、そうすると今度は、「病気なら働けませんね。」って言う人もいたりして…。
え! それはひどいです…。
後藤 まさに諸刃の剣です。こちらの予想しないような反応をされることがあるのです。女装の方のカミングアウトでは、そこまでの状況になることは無いのかもしれませんけど、自分が予想しないリアクションがあるというところまでは、覚悟しておかないといけません。
こちらの想定以外のことはいくらでも起こりえる可能性がありますから・・・。
意外というか、青天の霹靂というか・・・
後藤 遊びじゃなくて真剣にそうなんですよということの為に診断書を提出しようと簡単に考えてましたけど、「病気ですね」といわれてしまうのはなんともしがたいところです。
どうしたら良いのかわからなくなりますね。
後藤 本来趣味であっても良いわけで、相手の土俵にのれば簡単に片づくという私の考えも問題でした。それに私が司祭として働くことを嫌っての嫌がらせだったのかもしれませんしね。
とてもひどいことですね。
後藤 カミングアウトして、自分自身が考えるリアクションとは違うリアクションがあるという怖さをぜひ憶えておいて欲しいと思います。
自分は大丈夫と思ってカミングアウトしてみると、自分の想定範囲を超えて想像できないくらいのリアクションがあるというのは怖いです。
どんなことをしても分かってもらえないもどかしさみたいなことはありますね。
後藤 そもそも精神的な病気でも働けないということはないですよね。うつ病の方でも、薬を飲みながら働いていらっしゃる方など大勢いらっしゃいます。だから、性同一性障害だから働けないというのもおかしいと思います。
性同一性障害も含めて「障害」=欠陥みたいなイメージで思われるのは、残念な考え方だと思います。
後藤 「性同一性障害」という単語だけは良く耳にしているので知っているのでしょうけども、内容までちゃんと理解している方は少ないと思います。
それだけに偏見や抵抗を感じる方がいらっしゃるのはしかたが無いところです。
後藤 自分から敢えてGIDであることを言うつもりは全然無いですけど、今回の場合は、本当のところはどうなのと疑われたことに対してGIDであることを言ったのですが…。
八方塞の状態ですよね。
後藤 でも、皆さんそういう大変さを経験されてフルタイムで生活されているわけですね。



その後、後藤さんに礼拝堂にてキリスト教のお話や地域の皆さんとのコミュニケーションになど、いろいろとお話を伺いました。
後藤さんはとても心温かい方で、お話を伺っていると何だか幸せな気分になる…そんな方でした。
またお会いできたらと心から思っています(^−^)
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