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チョコラ
3P

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 ゆうべ、久しぶりに後藤さんの夢を見た。
 後藤さんは私の憧れだった女の子。小さくて華奢で色白で、唇だけがグミみたいにぽってりしていた。声はちょっとハスキー。休み時間に友達とぴょんぴょんはねる姿は、子犬みたいな愛らしさなんだけど、授業中、黒板の文字を写している時は、半開きの口元が妙に大人っぽかったし、机に伏せて寝ている姿なんかは猫みたいだったな。  
夢の中の後藤さんは麻のてろん、としたワンピースを着ていた。肩から羽織ったベージュのカーディガンはスナップ留めになっているのか、ボタンがなくて、その代りに文鳥(白い体に赤いくちばし)や九官鳥(黒い体に黄色いくちばし)の刺繍がついていて、可愛かった。
 今、後藤さんはどうしているのかなぁ。もし、このブログを見たら、連絡ほしいな。「後藤さえら」さんへ。あ、でも、結婚して名字が変わっているかもね。



なぜ、真夜は後藤さえらのことを知っているのだろう。しかも、書き込みにある、鳥の刺繍のカーディガン云々は、僕がかつて実際に目にしたファッションそのものなのだ。

 その後も真夜は、こんな書き込みをしていた。

           
後藤さんが転校してきたのは、小四の夏休み明け。
ほとんどの子が日焼けして(中には皮がめくれている男子も)いる中で、後藤さんは、習字の半紙みたいにあっち側が透けてみえるんじゃないかって肌をしていた。身体は小さいんだけど、子供っぽく見えなかったのは、目の下にうっすらくまがあって、どこか、「けだるい大人顔」だったからかな。
さえら、という名前(当時はまだ○○子、が多かったから、すごいめずらしかった)の由来を誰かが訊いたら、「フランス語で〈ここかしこ〉、という意味です」と後藤さんは答えたんだよね。それ聞いてひえー別世界って思った。だって日本語の「ここかしこ」だって使ったことないんだから。
後藤さんはテストの点も上位だったし、リレーの選手に選ばれる子たちの次くらいに足も速かった。でもなによりファッションがぴか一で、あれは今思うとハマトラスタイルなんだろうな。白や紺のハイソックスとか、タータンチェックのスカートとか、ポロシャツにベスト、みたいな感じ?
ブラウスの襟に、女の子の刺繍がついていたり、グレーのコートの裾に、白いフエルトで雪の結晶の縁飾りがついていたり、とにかく、額に入れて飾っておきたいほどキュートだった。
他の女子がピンクとか赤とか、果汁0%のドロップやジェリー(オブラートでくるんである甘いやつ)みたいな色を好んでいた中で、紺やグレー、白、黒のお洋服中心の後藤さんが一番女の子らしかったのはどうしてだろう。
中学以降、制服になってから後藤さんの私服を見ることはぐっと減ったのだけど、ある時スーパーで見かけた後藤さんは、アイロンのきちんとあたった白いスモックブラウス(Vになった襟元と袖口にレース付き)に、デニム素材のピンタックロングスカートをはいて、足元はくるぶし丈の黒スウェードのブーツというスタイルで、思わず私、隠れてしまったくらい。後藤さんはあの頃から、non−no、オリーブ系のファッションにシフトしていたのかもしれない。


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その晩は、とにかく喉が渇いて仕方なかった。
横山光輝の文庫版『三国志』をベッド脇に積んでいたが、一章読まないうちに集中力が切れていた。
『三国志』は職場の先輩から譲り受けた前半の数巻に、書店で買い足したり、ブックオフでセット買いしているうちに、2345567889巻、という風に重複がある一方で、肝心の1巻や三顧の礼、天下三分の計あたりが歯抜け状態のままだった。
 死ぬまでには読破しようと中学の頃から思っていたし、一時は熱に浮かされるようにあちこち探し回ったりしたが、ネット上でユーズド品が29円で売られているのを見てから、逆に買い進めることをやめたままだ。
 眠れずにいたのは、今日に日付が変わる少し前、真夜のブログ(後藤さえらに触れた最新記事)に、こんなコメントを書きこんだせいだった。

アナタハ ナゼ、ゴトーサンノ フクヲ コクメイニシッテイルノデスカ。ドウシテ ソンナコトヲ イマ フリカエルノデスカ。
コタエ シキュウ コウ。
 

真夜による後藤さえらの観察記録は、すべて僕の記憶とリンクしていた。
 さえらとは、僕も同級生だったからだ。
 僕はたしかに、後藤さえらを知っていた。
 小学校時代だけじゃなく、大人になった彼女のことも。
年月を経て、彼女が後藤から臼井という名字に変わったことも。
なぜなら、さえらは、僕の妻だから。
正確に言えば、別居中の妻、なのだけど。

結局、朝刊配達のバイク音がするころまで漫画とパソコン、トイレと冷蔵庫を行ったり来たりして過ごしたが、真夜からの返事を確認したのは、翌晩、仕事から帰ってからだった。

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 Posted by 真夜
『僕も後藤さんの同級生です』さん、なにやら電報チックなコメント、ありがとうございます!
 私の憧れの後藤さんのこと、興味を持って読んでいただいて嬉しいです。
 詳しく覚えているのは、なんでだろ、やっぱり、後藤さんにはオーラがあったからかなぁ。他の子の服と違って、トータルなコーディネイトがされていたし、スカートと膝丈ソックスの間の太腿から膝小僧までの見え方が絶妙に可愛いバランスだったこととか、靴だけ男っぽいスニーカーでアンバランスにしたりするところもキュートでありつつかっこよかったなぁとか、いくらでも思い出せるの。
とりあえず、私からも質問です。『僕も・・』さんは、私のことは覚えていますか?


 質問を返されたので、僕は再び同じ記事にコメントを書きこんだ。

 Posted by 僕も後藤さんの同級生です
 えーと、真夜さんも後藤さんと同じクラスだったそうですが、何年の時のことでしょう?僕は小学校四年と、中学二、三年に、後藤さんと同じクラスでした。ついでに言えば中二の時の、文化委員会でも一緒でした。


 真夜からも、追加の答えが書き込まれた。

Posted by 真夜
後藤さんと同じだったのは、小学校四年と中学二年の時かな。ということは、『僕も・・・』さんと私もその二年は一緒だったことになりますね。

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 小四と中二のクラス名簿などはなから保存していないし、小・中の卒業アルバムは実家にあるため確認できない。
そもそも「石野真夜」については、年賀状が届くようになってからひと通り調べて、学校関係にその名前は見当たらなかったはずだ。

 その晩、久しぶりに妻の携帯に電話をかけた。
「クィックルワイパーで掃除したら、最後、床に埃が壁際で一直線に残るんだけど、あの最後の部分はどうやってとればいいかな」
僕の生活相談に対し、妻は抑揚のない声でこたえた。
「床用の箒は?」
「箒でやると、ちりとりの縁からもれた埃が、やっぱり一直線になるんだけど」
「ティッシュをしめらせて、包み込むように拭けばいいんじゃないの」
「ああ、なるほど」
 
ある日、「ちょっと実家でミシンを借りてくる」と出かけた妻は、そのまま帰らなかった。二、三泊してくるんだな、くらいに最初は思っていたが、一週間経ち、二週間が過ぎて今さら理由も聞けないまま、別居状態になって、まもなくひと月だった。
「小学校の時さ、君、眼帯してたことあったでしょ」
 話を変えると、一拍おいて、妻はこたえた。
「ああ、『ものもらい』で腫れていたのよ」
「あの頃、学芸会でうちらのクラス、『宝島』をやったじゃない?僕の衣装、横縞のTシャツに黒い眼帯でさ。その衣装をつけた状態で白い眼帯の君と目が合うの、結構気まずかったんだけど、ほら、君もマリンルックっていうのかな、セーラー風っていうのか、碇マークのついた似た格好だったから」
返事のかわりに、妻は質問を返してきた。
「中学の社会見学、あなた腕にギプスして来てたでしょ」
「ギプス?」
「石膏のカバーにカラフルなマジックでいろいろ、メッセージが書いてあった」
「ああ、バカ殿様の絵とか、浜田省吾の『MONEY』の歌詞書かれたな、そういや」
「相合傘も、書いてあったわ」
「は?」
「噂になってたでしょ、あの頃」
「噂?」
「今、どうしているのかなぁ、彼女」
 かすれた声でそう言ってすぐ、じゃあ、そんなことで、と妻は明快な声を出して電話を切った。

「相合傘の相手」というのは、たぶん、一度だけデートもどきをした女の子だ。スケート場では係員に消毒(消臭?)スプレーをふりかけられた貸し靴(湿っていたのは前の使用者の汗か溶けた氷によるものかは不明)をはいて、二人で延々リンクを回っていただけで、帰りに寄ったマクドナルドでは、相手の子に一口もらったアップルパイ(かじったら反対側からこぼれた)で顎をやけどした。ねばっこくてシナモンくさい、遠い日の記憶だった。
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3P
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