▼女装小説
薫風学園 高等部
作: 安藤 三智子
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俺の変身ルームである病院最上階の部屋に戻って、バカンスを楽しんだ令嬢にぴっ
たりの軽めのパンツスーツに着替えた。
テーブルの上にリゾート地の詳しい説明書きと、現地のお土産らしきものの袋が用
意され、『ここを出る前に資料に目を通してからお帰り下さいませ』
と書かれたオーナーからのメッセージカードがあった。
「何から何まで感謝します。オーナー」
そう、呟かずには居られなかった。生徒や職員の先生達は、必ずバカンスの話を聞
きに来るだろう。きっと何となくすり抜けられるほど、ありふれた旅行話では、怪
しまれる事間違いなしだ。
しばしソファーで資料を熟読しながら、頭の中のバカンスを満喫して、迎えのヘリ
の待つ屋上へと向かった。
「おかえりなさいませ、遼華様。バカンスは楽しめましたか?」
操縦士の問いかけに
「えぇ。あちらのホテルではとても良くしていただいて、ゆっくり楽しませてもら
えましたわ。そのおかげかしら?学園の皆様にも早くお会いしとうございますもの」
と、機内に乗り込みながら答えた。
「では、第一ルートで早急に学園に向かいましょう」
第一ルート?と聞き返しそうになったが、今の俺には関係ないと思い直し、
「宜しくお願い致します」
とだけ返答して目を閉じた。
30分もすれば学園に到着するだろう。また少しの間、橘遼華での生活が続く。
しかし、不安も緊張もなく、新しいパワーで、気持ちが高揚するのがわかった。

しばらくして、ヘリの降下する振動に目を開いた時に
「遼華様、お待ちかねの学園ですよ」
と、静かに声をかけられ
「ありがとう存じます。また、お願い致しますわね」
と、笑顔で応じた。
ヘリから降り立つと、浅葱教頭が出迎えてくれた。
「お元気にお戻りになられて嬉しゅうございますわ。お顔に楽しかったと書いてあ
るようですわよ」
「いやですわ、浅葱教頭。私のいない間、ご迷惑などかけておりませんでしたか?
お休みをいただいた分、明日からまた、頑張りますわ」
「それは頼もしい事。生徒達もお待ちかねですわよ。遼華様の授業は人気がおあり
のようね。長い休暇は取れそうにありませんわよ」
「嬉しい限りですわ」
「でも、お疲れでしょうから、今日はお早めにお休みなさいね」
母のように少しだけ注意を促す温和な口調に、学園に帰ってきたのだと、心があっ
たかくなった。
自分の部屋に戻って、教頭の言葉を思い返しながら、何日かぶりのベットの枕に顔
をうずめた。東京の部屋のベットと、この部屋のベットは全然違う寝心地なのに、
どちらも自分に安心感を与えてくれる。安息の地がいくつもあるようなしあわせな
気分に浸りながら眠りについた。
朝、夢香先生のフルートの音色で目が覚めた。
もう次の学園祭に向けて、新しい曲を練習しているのだろう。どこかで聴き覚えの
ある曲だが、オーナーに曲名を訪ねなきゃわかりそうもないようだ。
贅沢なBGMの流れる中、身支度を整え、軽めの朝食を摂った。
今日は午後からの授業だからそんなに急ぐ事もないとは思いながらも、昼休みの生
徒達の様子が見てみたくて、学園を散歩する予定を組んでみた。
授業を離れた時に、彼女達はどんな話をしているのだろう?どんな話で笑うのだろ
うか?りさ先生の気になる普通の女子高生との笑いや笑顔の違いも肌で感じなけれ
ばわからない。
まずは彼女達の日常の話題や、興味のあることや流行りなども聴き出さないと今回
の計画が進まない。俺なりの情報収集はしておかないと、あの二人にはついていけ
ないだろう。

学園の中心に位置する噴水の周りのベンチや芝生の上には、談笑する生徒達が集ま
っている。何気なく通り過ぎようとする俺に、聴き覚えのある声が響いた。
「遼華先生、ごきげんよう。バカンスは楽しゅうございましたか?」
振り返るとそこに、3年生総代の星野加奈がにこやかに微笑んでいた。
「ごきげんよう。加奈様。バカンスは楽しゅうございましたわ。でも、あなた方の
事ばかり思い出してしまって……。お声をかけていただいて本当に嬉しいわ」
「名前を覚えてくださるなんて!嬉しゅうございますわ」
その後ろから、2年生の斉藤彩が顔を覗かせている。
確かテニスの国際大会で優勝し、椿祭で紹介されていた。
「お隣は斉藤彩様ね。ごきげんよう。お話しするのは初めてですわよね?」
「そのとおりですわ。遼華先生にお名前を覚えていただいてるなんて、本当に私も
嬉しゅうございます!!」
「加奈様には学園祭で、あれだけご協力いただいたのに、お名前を覚えない訳はご
ざいませんわ。彩様はテニスで素晴らしい成績を残してらっしゃいますものね。テ
ニス部では皆様の目標にもおなりでしょう?お会いできて光栄ですわ。皆さんとは
もっと仲良くなりとうございますもの。沢山お話ししたいと日頃から思っておりま
すのよ」
「では、ご一緒に少し、今からお話ししてくださいますか?」
「もちろん。でも、わたくしで話題についていけるのかしら?」
そう言いながら、近くのベンチへ腰を下ろした。
「お二人は今、何に興味がおありになるの?」
単刀直入すぎる質問だと思いながらも、時間を考えると仕方ないだろうと思いなが
ら問いかけた。
「彩様は来年度のテニスの国際大会の事で頭がいっぱいですわよね?テニスをして
いる時の彩様はとても素敵ですわ」
「加奈様ったら、ご自分もテニスでは敵なしの腕前ですのに、早々に引退されて。
おかげで私が今大会で優勝できたようなものですわ。遼華先生、わたくしは加奈様
を目標にテニスを続けてまいりましたの」(「よ」を省略)
二人の笑顔は華やかで実に屈託がない。
「まぁ、加奈様もテニスをなさるの?それはいつ頃から?」
「4歳の時に父の影響ではじめました。父は考古学者で研究のために世界各国を飛び
回る生活であまり家にいない人でしたが、家にいる時には、私をテニスに連れてい
ってくださいました。最初は父の喜ぶ姿が見たくてテニスをしておりましたのに、
いつの間にかテニスから離れられない程のめり込んで……おかげで父のいない寂し
さも半分になったように感じますわ」
「そうでしたの。では、お父様や夢香先生のように考古学を専攻されるの?」
「実は、父だけでなく母も考古学者です。家族みんなで考古学者というのも面白い
かもしれませんけれど、まだまだ思案中です。遼華先生や楓様のような女性を輝か
せる職業にもとても興味がございます。彩様はプロテニスプレイヤーを目指してお
いででしたわね?」
「はい!どこまでできるのか、自分の限界を試しとうございます」
加奈の笑顔があでやかと表現するなら、彩の笑顔は華やかという感じだろうか……
「皆さんそれぞれに高い目標を持っておいでなのね。でも、時には違った分野の事
で息抜きをしたり、見聞を広げる事も大切だと思うのですけれど、ストレスを解消
するには、どんな事をなさるの?」
先生らしく続けて問いかけると、
「音楽を聴いたり、読書をしたり」
「映画を観たり、おしゃべりしたり……」
二人が顔を見合せながら、想定内の答えが出される。
「テレビ(「なんか」は省略)はご覧にならないの?例えば、お笑い番組とか、ド
ラマとか」
「正直、お笑いと言われる番組を見ても、何だかピンとこない事が多くて……」
彩の答えに、
「そうですわね。自然とテレビは観なくなっておりますわ。どちらかと言えば、ア
ニメの方がわかりやすいというか、興味が持てなくもないかとは思いますけれど」
と、加奈も的確な分析を交えながら答える。
「そうですわよね。良い意味でこの学園は他の高校と違ったところが沢山ございま
すし、皆様のお育ちになった環境は特別なものでございますものね」
「興味はございますのよ。インターネットで流れる流行や人気の人物には。でも、
なかなか理解することができなくて……」
特別な環境という言葉に、加奈が少し反応したように答え、
「遼華先生は、それが良くお分かりになると思いますの。学園の事も、私たちが見
た事もない世界の事も、是非、お話しして欲しゅうございますわ」
と、彩が身を乗り出して質問をしようと強い視線を向けた。
しかし、二人が本当に興味があるところを話し始めようとしたところで、昼休みの
終了を告げるチャイムが響いた。
「残念ですわ。楽しい時間はどうしてこんなに早く過ぎてしまうのでしょう」
そう言いながらも、何を聞きたいのか、どんな答えを返せばいいのか、手札をそろ
えていない自分をかえりみて、内心ホッとした。
「また、お話ししてくださいませね。遼華先生」
「えぇ、私からもお願い致しますわ」
と控えめに言いながら、とても名残惜しそうに校舎に向かう加奈と彩、
「いつでも声をかけてくださいね。それでは後ほど、授業で……ごきげんよう」
何度も振り返りながら遠ざかる二人に手を振りながら、生活環境での溝を埋める事
が、彼女達には大切な事だと感じた。
多くの世界を知る事は人間形成にとても大切な事だ。環境に左右されやすい子ども
達が悪い事を覚えるのは早い。しかし、正しい事を先にしっかりと覚えていれば、
キチンと正しい事を選択できる。間違いを犯す事も大切だし、失敗から学ぶ事も多
い。
大人になればなるほど、自分を否定されたショックは大きいし、自分から遠い存在
に否定されるほど、ショックの大きさを増す。叱られるなら親や家族が一番良いと
いう事だ。
身近な人に叱られ、注意を受け、自分を否定される事を経験していれば、それが素
晴らしい免疫力になり、社会に出てからの失敗や叱責にも大きなストレスを感じな
い。
里中りさの本当に言いたい事は、この部分なんじゃないだろうか?
彼女が今、第一線で活躍するまでには、気の遠くなるほどの学園とのギャップに悩
み、社会に順応していったのだろう。
後輩達に同じ轍は踏ませたくないという彼女の思いやりが、今回の企画を思い起こ
させたのだろうし、実際にその壁にぶち当たって悩んで彼女に相談に来る生徒や卒
業生が増えているのかもしれない。
学園に外の風を入れる事は、考えている以上に重要で、早く対応しなければならな
いことなのだろう。
難しい理論よりも、お笑いでその革命ができたなら、これに勝るものはないと思う。
今日から毎日時間があれば、生徒と交流し、この学園では見ることのない女子高生
や若者の流行を交えながら、授業を進めることを考えた。

「遼華様、どうなさいました?眉間にしわが……お美しいお顔がだいなしでござい
ますわ」
ベンチで考え込むうちに、よほど険しい顔をしていたのだろう。確か数学を担当し
ている山本先生に声をかけられた。
身長180センチの俺をもっと華奢にした感じの長い黒髪が印象的なアジアンビュ
ーティーだ。俺の中では黒ぶちの眼鏡と黒のパンツスーツ姿が印象に残っている。
公認会計士として何冊か著書を持つ有名人で、学園でも、生徒の要望があれば公認
会計士試験に向けての特別講習をするらしい。その徹底した指導ぶりから、受講者
は全員合格という快挙を毎年更新しているのだと、浅葱教頭に教えてもらった。つ
い最近も(句読点削除)朝礼の時に、新学期からの公認会計士講習会の開講を告知
し、「皆様、一緒に合格を目指しましょうね。わかるまで最後まで、私がお力添え
いたしますわ!!」と、言葉からは連想できない力のこもった表情で壇上から生徒
を見詰めていた。美寿羽オーナーからも以前少し話を聞いた事がある。たしか、オ
ーナーも公認会計士の資格を取る時に、個人的に集中講座を受けて見事一発合格で
きたと話していた。ファッション関係の総合商社でもあるメイザ商事の令嬢であり、
経営にも手腕を振るうと聞いた。
「晃先生、ご心配していただいて、ありがとう存じます。私ったら、考え事をする
とこのような顔に……お恥ずかしいですわ」
そう言って顔を向けると、
「いいえ。ご気分がお悪くないのなら、よろしくってよ。何か心配事がおありなら、
私にも相談してくださいね」
と、優しく言いながら、右手で握りこぶしをつくって小さくガッツポーズを見せて
くれた。
俺もそれをまねて、小さくガッツポーズをつくり、
「はい。お話し聞いてくださいね。とても心強くなりましたわ」
と、笑った。彼女もまた、社会で自分の能力を発揮している女性の一人だ。メイザ
商事の令嬢なら、この学園の卒業生かもしれない。社会に出て、自分の育った環境
とのギャップに悩んだ一人かも知れない。
「遼華様、また眉間にしわが……」
「いやですわ、私ったら」
「本当に大丈夫ですの?何度も申し上げるようですけれど、お悩み事があれば、お
力になりますわよ。ファッション業界の事なら父に相談もできますし」
「恐れ入ります。とても心強いですわ」
「今度ゆっくりランチでもご一緒いたしません?気分転換に!」
「はい。晃様からお誘いいただけるなんて光栄ですわ。特に、私の知らないファッ
ション業界の内側をお教えいただきとうございます」
「えぇ、私でわかることでしたら何なりと。遼華様、午後の授業がおありなんでし
ょう?ご用意はよろしくって?」
「まあ、大変、もうこんな時間。申し訳ございません。失礼いたしますわ」
と、ダッシュで走り去りたいところをグッとこらえて、早足で中庭を後にした。
「やはり、お元気な遼華様がお似合いね。ごきげんよう」
背中に、爽やかな晃先生の声が追いかけてきた。
振り返ると、さっきと同様に片手で可愛くガッツポーズを見せてくれた。
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