▼女装小説
僕は私に恋をする 〜少女A´〜
作: カゴメ
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「『ビューティーサロンヘカーテ・オーナー真壁(まかべ)多香子』さん」
受け取った名刺にはそう書かれている。「美容院かなにかの方ですか」
「もちろんそういった業務も行っておりますが、当店は髪型やメイクだけでなく服装や
スタイルの矯正に至るまでお客様の姿さえも様々に彩り、今まで知ることのなかったご
自身の新たな一面を発見して頂くことを目的とさせて頂いてます」恭(うやうや)しく微
笑む多香子さんの表情は、ものを売りつけようとする人種独特の卑しさが全く無く、も
とよりの美しい表情をより際立たせるかのようだ。
勿論それすらも計算で行っているのだとしたら、これ以上は無い商才だが。
「ああ、何となくわかります。コスプレですよね、あの漫画とかゲームの格好するの」
「それがお客様の新たな一面を拓くものであれば、ですが。当店ではご来店頂いたお客
様お一人づつ簡単な面談を行いまして、その方にもっとも相応しい変身をご提供致しま
す。そういったサービスですのでもちろん、ご満足頂けなかった場合料金は一切発生い
たしません」
会話のペースを持って行かれてるのがわかる。冗談で切り替えし、早めに切り上げよう
としても、この人の話術に惹かれるものを覚えている自分が少し苛立たしかった。
「じゃあ……じゃあですよ?仮に、僕がお店に行くとしたらあなたは、どんな服装をさ
せてくれるんです?」
「女装です」
即答された。その明確さ、突拍子のなさは疑問を挟む余地無く納得させられそうだった。
「あなたと同じくらいか、少し下の年齢の女の子の姿をして頂きます。幸いにもお若い
ようですからお化粧のりもいいでしょうし、身長もそう大きくはないのでかなり色々な
服をお召しになることが出来るかと」
「そんな。僕なんかが女の子の服装したってギャグにしかなりませんよ。それを、自分
の新しい一面との出会いだなんて言うんですか?」この人は本当に何なんだろうと思う。
平日の昼間からファッションモデルのように服を着こなして、することが鳩の餌やりと
見ず知らずの僕相手に女装を勧めるだなんて、美容師だなどと言っているがその実、見
た目の美しさに反する碌でもない人間に違いない。
「どうして、そのようにお決めになるのですか?」多香子さんは怪訝そうな表情を浮か
べる。
「どうしても何も、想像つくでしょう?」長い髪のかつらをつけて、顔を真っ白くされ
て、頬や唇をおかしなピンク色にされるところを思い浮かべるだけで、自分のことなが
らも笑いがこみ上げる。
「そうお考えになるのは、あなたが本当のあなた自身にお気づきになっていないせいで
しょう。あなたが何者で、どんな魅力を持っているのか。それを知らないということは、
とても勿体無いことなのですよ。たとえば恋愛ひとつとっても、自分とつきあえばこん
なメリットがあるとか、逆に自分の能力をどう生かせば相手に喜んでもらえるのか、知
ることができれば……お相手に対するアピールが強くなるとは思われませんか?」
失恋したての相手に虫歯の痛みのようなことを平然と言ってのける彼女の言うことは、
サラリーマンが読むような自己啓発の本のイメージのようなうさん臭さとは違う、まる
で実体験のような重みを感じる。「特にあなたのようにお若い方ならなおさらです。人
生の早いうちにご自分と向き合うことは、決して損にはなりません」
「それと女装と、どう関係があるんですか」
「恋愛に限定して言えば……女性の気持ちを知ること、でしょうね。女装は、ただいつ
もと違った服を着てお化粧をするだけの行為ではありませんよ。たとえば近い将来あな
たに恋人が出来て、その方があなたとデートをするとします。そのとき彼女は約束の時
間に1時間以上も遅れてきました。さて、あなたはどうしますか?」
「どうって……怒りますよ、そんなに待たされたんじゃ」
「その彼女は綺麗な自分をあなたに見せたい一心で、服を選んで丁寧にメイクをしてき
たのに?連れて歩くなら綺麗な女性のほうがいいって、男性なら誰でも思うでしょう?」
「それは」返す言葉を失う。
「もちろん、遅刻を肯定するわけではありませんけど……女性には女性しかわからない、
苦労があります。それを思いやれるかやれないかで、あなた自身が得られる幸せの度合
いも大きく変化するでしょう。女装に限らず新しい自分を開放するということは、享受
できる幸せのキャパを拡張する行為なんですよ」
女優のように口元を押さえる微笑を見せて、多香子さんはじっとこちらを見据えた。
「もう一度、ご案内させて頂きます。当サロン・ヘカーテは新たなご自身の一面を発見
されることで、苦しみに囚われた自分を消し、日頃の社会生活で背負わされた重荷を投
げ捨て、再び前に進む活力をご提供するお店です。どうぞ宜しければ、ご利用下さい」
その手から、一枚のチラシを渡された。パソコンで作成したらしいコピー用紙に印刷さ
れたそれには、最寄り駅から店の場所に至る地図が掲載されている。城崎大学のある隣
町だ。
「では、失礼致します。この世は度胸、何でもためしてみるものですよ」
背を向けた多香子さんを、自分でも思わず呼び止める。胸の痛みが、いつしか高鳴りに
変わっていることに気が付いた。
別に、女装じたいに興味があるわけじゃない。彼女の言うような変身を体験して、菜穂
子にもう一度告白したからといって、今度こそ成功する望みがあるわけでもない。
ただ、彼女の言う新しい自分自身との対面には深く惹きつけられるものを感じているの
は間違い無かった。
「満足できない場合は、お金を支払わなくていい。そう仰いましたよね?」
つまり、期待にそぐわぬ場合でもリスク無く、その世界を垣間見ることは出来るのだ。
おそらくこのまま彼女と別れてチラシを持って帰っても、翌日の朝には忘れてどこかに
無くすか、捨ててしまうだけだ。
多香子さんは答える代わりに、ハンドバッグから取り出した電卓を叩き始める。
「ええと、新規入会料プラス、初回のお客様だから2時間のご利用……でもスプリング
フェアで入会料は半額の、ウィッグ使うからカット料金はマイナスで……。ご職業は?」
「あ、来週から大学生です」
「でしたら学割が利きますので基本利用料も10%マイナスの、私の紹介ってことにす
ればさらに20%マイナスできるから計3割引き……合計、消費税込みまして1239
0円になります。勿論、ご満足頂けない場合はこれらの料金は発生いたしません」
都合よく財布の中身には銀行から下ろしたばかりの福沢諭吉と樋口一葉が仲良く鎮座ま
しましている。もはや、この金で菜穂子と遊びに行くこともなければ気の利いたプレゼ
ントの一つも買う必要もないのだ。そう思うと、失恋の捨て鉢な感情が走る。
「じゃあ、これから行っても大丈夫ですか」
「ご利用ありがとうございます!では、早速ご案内致しますね……あ、そうそう」多香
子さんの声が弾む。
「今でしたらお客様へのスペシャルキャンペーンで、新しくお知り合いの方をお店にご
紹介下さって、その方が当店を利用されれば、あなたにも1000円分のキャッシュバ
ックがありますが」
「……それは遠慮しておきます」

公園の駐車場に停めてあった多香子さんのセダンの後部座席に乗り込み、15分ほど走
った先は隣町の閑静な住宅街だった。ここでも桜の花がその蕾を広げつつある。
案内されるままにその中の、ビジネスビルらしい建物の2階の一室へと上がった。休日
のためだろうか、その中に人の気配は殆ど感じられない。
表札の部分には確かに、『ビューティーサロン ヘカーテ』と手書きされているものの、
目立った外装はどこにも無い。こんなことで商売がやっていけるのだろうか、他人事な
がら心配がよぎる。
「イズミちゃん、多香子です。お客様、お見えです」多香子さんがブザーに話しかける
と、ほどなく鉄扉が開いて、室内が一望できた。
鏡台が部屋の中央に一台だけおかれていて、その前には女性雑誌が数冊積み上げられて
いる。少し離れたところにはシャンプー用の設備があって、その隣にはベージュのカー
テンが降りたスペースがある。窓からの暖かな光に照らし出されて、眩しささえも感じ
る。
僕のイメージのいわゆる美容室とそう変わらないもので、入り口の直ぐそばには、金色
に染まったショートカットに、中性的な顔立ちのブラウスに柄物のスカートといったラ
フなスタイルの女性が佇んでいる。
「いらっしゃいませ、ようこそ『ヘカーテ』へ」
この人がイズミと呼ばれた人なのだろうか。耳元に3連のピアスが輝いている。
「あっ、どうぞ靴のままお上がりください」玄関口で硬直していた僕を、多香子さんが
促した。フロアに一歩足を踏み出したとき、他の客が全く居ないことに気が付いた。
ビルに看板すら出さないほど商売っ気に乏しくて、繁盛する筈も無いのだろうが。
「当店は基本、完全予約制ですから。他のお客さんとは時間が被らないようにしてます
し」イズミさんは僕の内面を見透かしたように答えた。
「どうして、他のお客と被ったら駄目なんです?」
「もう一人のご自分と対面なさるのは、とても神聖な儀式のようなものです。第三者を
立ち会わせるわけには参りません」今度は背後で、多香子さんが答えた。

「さて」木目が剥き出しの小さな円形のテーブルを挟んで向かい合わせに、多香子さん
と僕が座る。
「本来ならこれから面談のようなものを行いまして、どのような変身をされるのかを決
めるのですが。あなたの場合、女装をされることは確定しておりますので省略いたしま
す。こちらのお客様カードにご記入をいただけますか?」
差し出されたA4版程度の大きさの紙には、名前や連絡先といった簡単な記述を行う箇
所がある。ペンを手にして、イズミさんが運んできてくれたダージリンティを飲み干す
間に一通り書き終えた。
「日下部(くさかべ)千博(ちひろ)さん……ですね。今度城崎大学へ進学なさる、と。あ
ら?」多香子さんが不意に、イズミさんを呼び止める。
「イズミちゃん、あなた確か城崎の、短大だったわよね。この前話してなかった?」
「ちょっとオーナー、何を仰ってるんですか。言ったじゃないですか、ブランシュール
だって」
ブランシュール。制服の可愛さに定評のあるらしい、私立白鷺乃宮学園の愛称。
この街からはかなり遠い高校の筈だ。
「そうだっけ?じゃあ私、勘違いしてた?」そう言って、自分のことなのにクスクスと
笑う。
「『しろ』と『しら』じゃえらい違いですよ。大体あそこは女子校です」
「フフッ、そうか、そうだったわね……じゃあ千博さん。ブランシュールに通っても違
和感のない、気品ある女装を目指しましょう。で、さし当たって最初にしていただきた
い事があるのですが……」別に気品は必要ありません、とサトミさんが呟くのが聞こえ
た気がした。
「何でしょう?」
「名前を、つけてあげて下さい。これからあなたが対面することになる、もう一人のあ
なたの名を」
ペンを弄んでいた指先が止まる。いきなりそう言われても、思いつく筈が無い。確かに
『チヒロ』という名前は男でも女でも通用するが、『千博』のままでは単なる女装の領
域を出ることは無いし、これから僕が出会うことになるのはあくまで女の子なのだ。

僕とは僕の事ではない。
少なくとも内面は、昨日までの僕ではない。

「なお入力可能な文字はひらがなのみ4文字までで、濁点は1文字に含まれます」
「少なっ」思わず声に出してしまった僕に、イズミさんから苦笑交じりのフォローが入
る。「オーナーのいつもの冗談です、基本好きに決めて頂いて構いませんから」
テーブルに肘を付いて、将棋のように長考する。
今この場で、生まれようとしているのだ。新しい命が。それを作り出すのは、僕だ。
やがて訪れるたとえようの無い胸の高鳴りに、ペンを持つ指先が震える。失恋の暗澹(あ
んたん)たる気分をかき消すような、エネルギーのほとばしりを感じて、僕はその名を紙
に刻んだ。
『怜(れ)霧(む)』
4文字どころかその半分の、けれど口にすればその響きは心地よく、瞬間、多香子さん
の言う新たな自分の姿をかいま見た気がした。
「レムさん、ですね。お誕生日、おめでとうございます」そう言って多香子さんとイズ
ミさんは、拍手をしてくれた。
「それでは早速変身のほうを行いますが……手順と致しましては先にお着替えを行って
からメイクをさせて頂きます。女性ものの服の着方につきましては、更衣スペースに張
ってある紙を参照して下さい。判らないことがありましたら、外に私が居ますので、声
を掛けてくださいね」
随分と簡単な説明だ。呆気に取られている僕を尻目に、二人はカーテンの向こう側へと
消えた。
ともあれ、ワンピースの着用には四苦八苦したもののどうにか上下の服を揃えることに
成功した僕は、測ったわけでもないのにサイズさえも見立ててしまうことができる多香
子さんの眼力に驚き、感心するしかなかった。小道具のロザリオを首につけ、鏡台の前
に腰を下ろすと動作のぎこちなさも相まって、いつもと同じ髪型と冴えない表情のまま
なのが情けなく思える。
中途半端の状態が一番もどかしい。いっそウィッグを着けてメイクも完全に終われば、
まだ見られるものになるにせよ笑うしかないものにせよ、この座りの悪さだけは消える
だろう。
「では、これよりメイクを行わせて頂きます。時間、結構かかりますので力を抜いた、
楽な姿勢でお願いしますね」そう声をかけてくれたのはイズミさんだ。その案内に従っ
て、鏡台の前の背もたれが上下するタイプのシートに深く腰を下ろす。髪を切るときに
着用するようなビニール地のポンチョのようなカバーに腕を通すと、多香子さんの手の
なかでコットンに染み込んでゆく化粧水の香りがほのかに漂った。

イズミさんはゲーム、それもマニアックな外国のアクションゲームが趣味らしく、店内
に流れているサイケデリック・トランス調の曲は彼女のチョイスらしい。多香子さんは
いかにもな才媛といった風貌に反して子供の頃の通知表はアヒルとカモメが杭の間を泳
いだり飛んだりしている状態だったと言って笑った。
「2と3と1ばっかり、って事ですよね。オーナー、いまどきの若い子にそんなの通じ
ませんよ」つられて笑みを浮かべるだけの僕に、イズミさんが解説を加えてくれる。
ファンデーションやクリームを塗りこまれ、つけ睫毛をマスカラで彩り、アイライナー
で陰影の際立ち始める姿を、時折手鏡で確認しながら会話を交わしていると人間は奥深
い生き物だ、と漠然と考えがよぎるのは、自分のなかにもそんな深みがあるから、その
具現化が近づいているのだからだと期待する。
ウィッグを着用する為に電動のシートがゆっくりと起き上がり、もともとの髪をネット
で束ねた自分の顔がすぐ向かいの鏡に映し出された。
「いかがです?……ってああ、口紅がまだでしたね。ごめんなさいっ」慌てたふうに化
粧品のポーチから小瓶を一本取り出して、小さなはけのようなもので唇を薄いあかね色
に染めてゆく。
そのとき、僕は気づいた。男と女の顔における最大の違い――それは口紅だ。
色白な男や目鼻立ちがくっきりした細面の、髪型を除けば女性と見間違うかもしれない
ような顔の男なら、テレビ番組なんかでも頻繁に目にする。そんな彼らも唇を赤やピン
クに、ときにはラメのような光沢に染めていることは無い。
服やウィッグ、他の箇所のメイク以上に女性を装う為のモアではない、モーストなのだ。
多香子さんはそれを僕に知らしめる為に、わざと口紅をつけるのを忘れたのだろうか。
再び鏡を目にする頃には肘掛に乗せていた腕が痺れ、感覚がほぼ失われている。
それをイズミさんが丁寧にマッサージしてくれるので、僕はウィッグをまとった自分自
身の姿をまじまじと眺めていた。
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