▼女装小説
L' oiseau bleu
作:カゴメ

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『既知の事象のみが世界を構成する要素であるとする錯覚を、いつ人は得てしまうので
しょうか。 創造や変革は認識することは容易ではなくとも、僕たちが時間という概念
を認知している限り確実に訪れ、所詮神にあらざる人にはその全てを我が物とする事は
確かに叶わないでしょう。
――僕は人間のあらゆる欲求において、こと知識欲に関しては、(個人差はあっても)
いつかは涸れる油田のようなものだと考えます。 それを思考の放棄と断じるか、能力
の限界と諦めるかはさておき、想像を凌駕(りょうが)するパラダイム・シフトに直面し
た際に人がとる行動はおおよそ二つ――全否定、もしくは有する情報の範囲内で、無意
識のうちに理解の及ぶ事象への置き換えを行うことです。
未知なる物を未知として受け入れる行為の不快感は例えば、幼少期に誰もが味わうこと
になる血の味にも似た忘れ難く抗し得いもので、それを内包しておけるほど人間の精神
は鈍感に形成されてはいない筈です(無論僕は、未知の意味すら知らぬまま、それを自
らの生きた知識として習得したと誤解する愚か者の話を君との間でするつもりはありま
せん)。
――しかし、真実が常に探求され続けなければならないものでは無いと結論づけること
を、あらゆる価値観の流動からの防禦的(ぼうぎょてき)行為(こうい)とするならば、僕
たちは他者という存在に相対するとき、如何なる手段を以てその未知なる物と共生すべ
きでしょうか。
以前君にも少しだけ話しましたが、自己とは他者の価値観の集合体という形を持たない、
歪な、極めて不確かな水面のようなものに浮かばされている落ち葉に過ぎません。 社
会とはミクロの積み重ねではなく、それこそ人間という生物が誕生する以前から存在し
たマクロであり、僕たちはその一部であることをより強く認識するべきなのです。 事
実、有史以来数え切れぬほどの争いを筆頭として、人の起こした罪を、やはり人が裁き、
罰を与えるという個々の対立は存在したにせよ、細胞分裂のごとく繰り返される共同体
の成立や再生は、決して途絶えることはなく、僕たちもまた生れ落ちたと同時にそこに
所属することを義務づけられ、かつそれを疑問に思うことは誰もしませんでした(無論
なかには、共同体からの脱却、あるいは破壊を望んだものもいるでしょう。 しかし彼
らは社会構図じたいを否定した訳ではなく、自らが新たな価値観、思想として存在した
かったに過ぎなかったのです)。

――精神が他者を包括できるほどの強さを得ることと、叡智(えいち)によって他者の一
部となって生きることは同義であっても、等価値ではありません。 人間は皆等しい存
在では無いからです。 僕がそのどちらに価値を見出すか、結論を得る為に辿り着いた
のは生命の根源たる海なのですが、そこには君の言うセンチメンタルがたぶんに含まれ
ていることもまた、否定し得ないのです』
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