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11.自由と平和の中に

昨今女装社会は一昔と比べて随分楽しみやすくなったように思います。インターネットを使えば、自宅にいながら女装に関する情報や、女装用品を自由に購入することが出来るようになりました。これは大変喜ばしいことです。

 私が女装に興味を持ち始めた7・8年前はまだ女装がこれほど社会に浸透していませんでした。アルテミスのような女装フォトスタジオも数軒はあったかと思いますが、今と比べたら圧倒的に数は少なかったと思います。当時、女装子さん同士でコミュニケーションをとることや、情報交換などは雑誌が主でした。女装雑誌は販売店舗が少ない上に、地方都市となると購入するすべがありません。私の実家がある長野県でも、女装関係を取り扱う本屋は皆無でした。

 日本における女装のルーツを辿ると、古事記や日本書紀にまでさかのぼります。恐らく、それ以上にずっとずっと昔から、女装は人類と共にその時代背景の影響を受けながら、戦いの手段や性の売買、お金持ちの道楽等、何かしらの形で存在していたことでしょう。生きる手段として、勝ち抜く方法として女装を利用していた話はいくつか残されています。多くの庶民の生活を細やかに記した文献があるのであれば、その時代々々における男性が女装を実生活の中で楽しんでいる様を紹介されているのかもしれません。しかしその数は大変少なくなかなか真実を知ることが難しいことが残念です。

 今日、日本の女装スタイルはだいぶ様変わりをしてきたと思います。女装が趣味として気軽に誰でも楽しめる行為となりました。これだけ急速に女装が社会と良い関係でかかわれるようになったのはなぜでしょうか?IT産業が発展をしたこともありますが、何よりも、安定している社会であるからだと思います。地球のどこかでは今日も内乱の危機に面している国があります。飢えに苦しみ死と直面している地域もあることでしょう。ですが、その状態が日本にはダイレクトにありません。貧富の差が無いわけではありませんが、他国に比べたらそれほど極端ではありません。ある程度安定した国だからこそ、自身のやりたいことをやりたいように表現できる自由があるのです。

 女装を快適に・気軽に楽しむには時間にゆとりがある時でなければできません。お金もかかりますし、安心して遊べる空間も必要です。女装をいつでも心から満喫できるくらい楽しめると言うことは、平和で自由な時代に今存在していると言うことなのかもしれません。