▼女装学 女装BARサイクル 日下部みどり子様との対談
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2.ポリシーのある女性らしさ

サイクル 日下部みどり子様

みどり子 普段自分が主張していることと整合性の取れないようなことをするのはお止めになるべきです。最初に言ったのは、外(社会)に対して整合性の取れないことは止めよう。もうひとつは、今度は内に対して。例えばGIDだったらGIDだし、女装を楽しむのでしたら女装を楽しむ。埋没系がいいだとか、可愛いキャラ系であくまでもコスプレとして楽しむのでしたらコスプレとして楽しめばいい。コスプレとして楽しむと言ってもそのうち気が付くと主義主張が変わってしまったというか、いろんな人からいろんな情報とか、ネットとかでいろんな情報を仕入れているうちに、元々コスプレイヤーだったのに気が付いたらなんか実はGIDだったとかに変わっているとかね。批判ではなんですよ。私は、愚問なだけでそれってどうなのって思うわけです。「あんたコスプレイヤーだったんじゃないの?それって性的違和感とどう関係があるの?」みたいな感じですね。
ビジョンがあやふやになってしまっては、この先をどうしたらよいのか分からなくなりますね…。
みどり子 その時不思議だなと思うのです。私の考える女装というのは、女装は女装で一本筋が通っていればわかりやすいのですが、揺らぎというかズレというか…そのズレが大きい人は不思議だなと思います。人の批判をしているのではありませんよ、私自身がそうならないように心がけているということもあります。
極端なこと言うと、男で女装しているのだから違和感は常にありますよ。ブラすれば胸元はスカスカだし、ショーツをはけば余計なものが付いている分だけやっぱりなんかね…。下腹部だって女の子みたいにストンとしているわけじゃないし、どうしても男の腹の出方になってしまう。腰はないし、お尻はちっちゃいからお尻はブッカブカだし、下着を身につけた瞬間に違和感だらけですよ。極端なこと言うと。その違和感をGIDだっていうような形で言い返す。言い換えをしてお医者さんに行って相談をすればきっと処方箋がでるかもしれません。
私は診断書の1枚2枚平気であっという間に書いてもらえることもわかっているのです。実際、前にちょっと精神科に通っていたことがあったのですが、全然女装とは関係ないことで通っていたのに、そしたら全然関係ないのに向こう側が「あなたはもう性同一性障害だね」と説明をされました。私のほうからそれを訴えたのではなくても向こうから勝手にそれを言い出したっていうことがあって。
ただ私は、自分の中でそれを律しているというか。違和感なんて誰でもあるのだと。それをあえて、とわだかに叫ぶこともないし、私が頼みもしないのに、無理に診断書もらっては「じゃあどうなの?」と思います。
自分の意図しないところで頂いても困ってしまいますね。
みどり子 私の中ではそれ(診断書)は必要としない。必要としないって言うことはGIDではないから。いう風に循環理論でね。必要としていないのだからいらない。いらないのだから必要としない。それが拠りどころだというのはわかりますよ。女装する上で、ただ単に女装していると変態の趣味とかって言われてしまたりね。何か人に見つかってしまって、何か会社とかそういうところでバレてしまった時に、「なんだお前そんな趣味があんのか」と指摘されてしまった時用の言い訳にする為に、性的障害なんだということで他者からの理解を得られる為のツールとしてお考えであれば、それは違うと思います。
なるほど…。
みどり子 そこらへんが私がおそらくそういう人たちと一番違うところだと思うの。私の場合は、違和感は診断書もらおうがSRSしようが、どっちにしても違和感は取れないのです。女性の身体つきにはならないだもん。女性ホルモンをどんなに打って胸を大きくしたって、じゃ骨盤どうなの?肩はどうなの?肩幅と骨盤とみたいなね。もっと極端なこと言うとじゃ精巣と陰茎、要するに男性のシンボルを取ったとしてもじゃ前立腺はどうよみたいな…。女の子の身体には前立腺なんかついてないよと考えてしまいます。じゃあ前立腺まで貴方取るのですか?もっと極端なことを言ったら子宮はどうなの卵巣はどうなのって話しになっちゃったら、結局は何時まで経っても違和感って言うのは拭えないのよね。
女性の身体に成りきれるわけじゃないし、女性の精神になれるわけじゃないし、子供の頃に女の子の思い出を持っているわけでもないわけですよ。赤いランドセルしょって学校に行ったわけでもないし、スカート履いて小学校に行ったわけでもない。男子にスカートめくりされて恥ずかしかったっていう思い出もあるわけじゃないし、初潮の日が来てなんか恥ずかしかったり怖かったり、赤飯炊いてもらったり…。それが人生経験として良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、そういう女性としての人生の積み重ね一つ一つが分かんないわけです。良いか悪いかすらも。要するに女の子としての人生の20年、30年というものが、すっぽり抜け落ちている状態で、30半ばになって40になっていきなり身体だけ、見た目だけ2500万とか3000万とかお金をかけて、かなり女性に近い身体になれること、それはわかります。ですが、体を限りなく女性的にしても失われた30年が取り戻せるわけでは無い。何時まで経ったって違和感というのは残るわけ。
もっと極端なこと言うと、男性シンボルが付いていても、骨盤が小さくても、豊満な胸の膨らみが無くても、本当に自分が女だって自信を持っているのであれば、女だといっていられると思うのね。私はこういう身体だけど女ですよ。そういうふうに自分の中でアイデンティティをちゃんと高められれば、別にSRSの必要もないし、診断書の必要もないでしょ。
そういったことを長々と言っても凄く分かり辛いので、私は一言で趣味の女装という風に言っているわけです。だったら趣味でいいや。そういったものが全て手に入らないのであれば、じゃあ趣味で。要するに女としての人生が手に入らないのであれば、じゃ趣味というところで留めておかないと、絶対自己崩壊を起こすだろうなというのが分かるわけね。自分の中でね。手に届かないものを次から次へと追っかけ続けて、追っかけ続けて。例えば、顔にコンプレックスがあるのか、美を追求してなのか分からないけれど、整形を繰り返す女の人っているじゃないですか。
いらっしゃいますね。
みどり子 二重にし始めて、唇を薄くして、ここをあーしてとか、それがどんどん気に入らなくなって年がら年中、1年のうちの半分以上は、ミイラ女みたいになって顔がグルグル包帯巻いて何千万も美容整形のところに通っているような…。
やり続ける中で、本当はどんなお顔になりたいのか、そういった最終的な完成像も見失ってしまいそうですね。
みどり子 そうです。あなたは結局何がやりたかったのといった感じですね。本当のあなたは何処にあるのみたいな…。あなたがしっかりしていれば、あなた自身がちゃんとしっかりしていれば、そんなミイラ女みたいにならないで済んだのに。それが果たして人生としていいことなのか悪いことなのか。その人にとって良いって言うのであれば、それで良いのでしょう。ですが、私はそうはなりたくない。時間の無駄ですから。
要するに、絵に描いた餅を追い求めというか、坂の上の曇って言ったら良いのか、なんて言ったら良いのか…。手に届かないものを追い求めて無駄な時間を過ごすくらいだったら、今あるもの、今ある自分自身を大切にしたい。
だから半径50cmって私は良く言います。自分自身で手が届く範囲の中で、自分のできることとか、自分の触れたもの、自分の見たもの。実際に自分が見たものとか自分が触れたもので幸せをつかんだほうが早いと思います。
遠くにある虹を見て、あの虹の下まで行ったら幸せになれるかもしれないっていたって、虹は追いかけても逃げていくだけ。虹の下には永遠に行けないんですよ、と私は思うの。…それが私の女装。
とても大切な考え方だと思います。
みどり子 行ける方法を知っている人がいるのだったら、聞きたいと思いますよ。虹の下に。だったら私も行きたいですもの。決して行きたくないって言っているわけじゃない。行けないことが分かっているから。それは諦めなのかも静観なのかも知れないけど、静観という風に言われようがなんと言われようが無駄な時間は過ごしたくないって感じかな…。

次回は【女性として旅行を楽しむ心得】のお話です

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