▼女装学 女装BARサイクル 日下部みどり子様との対談
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今回は私が大尊敬をしている日下部みどり子様との対談です。私が女装世界に興味を持ちはじめた数年前、一般雑誌にたまたま掲載されていたみどり子様の女装についての考え方に感動・共感をしたことを今でも鮮明に覚えています。

ご経験豊富で鉄道関係にも深い知識があり、また老舗女装BAR【サイクル】のスタッフさんでもいらっしゃいました。今回は、みどり子様の女装学、女装をして外出をする際に守りたいこと、また、女性として旅行を楽しむこと等についてお話を伺いました。また、サイクルさんのお店の情報など、貴重なお話も伺っています。

今回の原稿は、2007年秋口に行った取材内容です。サイクル店内にて、サイクル店主の鈴木久美様にも同席頂き、日下部みどり子様にお話しを伺いました。その後、みどり子様の体調が芳しくなく、2008年4月23日に永眠されました。今回の原稿は掲載するか否か大変悩みましたが、辛いお体の中それでも取材に快くに応じてくださった事、また大変貴重なお話しも多く、掲載の件で久美様にご相談をいたしまして、この度掲載のご承諾を頂きました。みどり子様が語って下さった内容をこちらのページにご紹介させて頂きます。

日下部みどり子様のご冥福を心よりお祈り致しております。


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1.埋没系女装について

サイクル 日下部みどり子様

みどり子 女装というのは、別の人格。要するに普段は男でいる。たとえば、山田太郎とかのキャラで生きているわけじゃないですか。それが女装すると山本花子となったりしてアクターとして演じるもの。
普段は、父親を演じていたり、会社でエリートサラリーマンを演じていたり、それも一種の演技ですよね。大人である男を演じて頑張っている。それが、女装するってことによって、今度は女の子としての自分を演じる。
別のキャラクターが住んでいるわけではない。そうすると、人によっては羽目をはずすというか、別のキャラクターになってしまい、何をやっても良いみたいな状態に自己解放をする。
もちろん自己解放するために、本当の自分であったり、普段のストレスとかプレッシャーみたいなものから解放されるためにわざわざ性別まで変えた別のキャラクターを手に入れているわけですから、それはそれで良いことだと思うのです。ですが、それで人様に迷惑をかけたり、社会に受け入れられないような素っ頓狂なことをやったり、ハチャメチャなことをやったりするのは如何なものか。私の考えでの女装学というのはそこですね。その部分さえ外さなければ、何をやっても良いのではないかと思います。自由でいいじゃないかと思うんです。
一人部屋で女装している分には本当に何をやってもいいわけですよ。それは性的な欲求を解消するための女装であっても、変質的な自分の行為とか欲求を爆発させ解消するためのことであってもいいのです。これが一歩外にでる。一歩外に出るといってもいろんな方法があって、例えば普通の街の中もあれば、夜の公園みたいなところを散歩するとか、もちろんうちのような女装スナック、女装バーと言われるようなところで、同じような仲間と一緒に会ってお話しをしたり、カラオケを歌ったりお酒を飲んだり。そうすると安心もするし自分と同じような人がいっぱいいるのだと情報交換もできるし、やっぱり仲間がいっぱいいるというのは安心できることだから。ただ、その全てが自分の部屋で鍵閉めてやっているのならいいけれど、一歩でも外に出たら社会なのですよね。
そうですね。
みどり子 いろんな形の社会、またルールがあります。もちろんそこのところには、一般の人、女装とは関係のない人と非常に綿密に接しています。例えば(女装状態で無い場合でも普通に考えて)そこで露出行為をするとかはちょっと…。ひとりで露出行為しているくらいならいいのですが、普通の一般の女性が通ったからといってギンギンになったものを見せて追っかけまわしちゃうとか。
それは簡便して欲しい行為です(苦笑)
みどり子 例えば小さな女の子とかに「スカートの中見てみたい?」とかわけのわからないこと言うとか、そうなったら完璧にアウトですね。
女装がというよりも、そうなってしまうともう人としてどうかと思いますね。
みどり子 一般の街の中で私は埋没系でいきたいと思っています。女性として働きたいでもいいし、普通に食事を楽しみたいでも何でもいいのですが、埋没したいと言っておきながら素っ頓狂な格好をするのはつじつまが合わないと思います。自分の頭の中で考える女装というか女というものを演じたいがために(確かにひとそれぞれ趣味・趣向は異なりますから、とやかく言うつもりはないし、あまり人のセンスとか趣味のことっていうのはお互いにいうのはタブーみたいなのとかありますが)埋没したいとか、普通の街の中、例えば昼間の繁華街とか商店街とかデパートとか行くのに、どう見ても夜のカクテルドレスみたいな姿ではいくら好きだからといってもそれは埋没じゃないだろうと思うのです。
ご本人さんは溶け込んでいると思っていたとしても、実は周りからみればそうではない状態ということですね。それに、その場にあった衣装でないと衣装で目立ってしまうことでしょう。
みどり子 埋没したいと言っておきながら、女装でなくて仮装になっちゃっている。「いいの私はあくまでも仮装でも何でもいいの。好きなものを着て外を歩くのが好きなの」というポリシーだったらいいのでしょうね。みんなそれぞれポリシーがあると思いますから。ただ自分の持っているポリシーとやってることがズレてしまってはいけないと思います。
例えば女装と非常に密接な結びつきのあるものとしてひとつGIDというものがあると思うのですが、子供の頃から性的際に悩んでて、女装することによってそれが解消したとか、一歩近づいたとか、いろんな形でカタルシス(精神分析で抑圧された感情や大変を、言葉や行動として外部に表出して、心の緊張を解消すること)を得るような。でも女装とGIDは似たようで異なります。女の子だって言っておきながらやっていることは男の子。ただ服装だけ女の子の格好で髪の毛だけ長くして、感覚的なものとか、行動的なものとかが全て全然男では、それではまるで男そのもの。
女の子だから鉄道趣味に走っちゃいけないとか、女の子だから車乗り回して狂ったスピードで首都高を走っちゃいけないとか、アニメの趣味に走っちゃいけないとか…そんなことはないですよね。趣味であるならなんでも良いと思います。私が凄く分かんないのは、自分は女の子なんだ、女の子になりましたって言っておきながら、男性欲を見せている行為です。
例えば女の子が隣に座ったりすると凄く嫌らしい目で、女の子を上から下まで性的対象を見るような感じで眺め回したり、それだけじゃなくて、女の子同士だということを利用して、例えばおっぱいの大きさがどうのこうのとか質問をしたり。
胸の大きさとか問われるのは、ちょっと女性同士でも違和感がありますし、そう話題めった話題となる内容ではありませんね。女性同士であってもデリケートな内容は多々ありますから、聞き手によっては不愉快に感じる場合もあると思います。
みどり子 私もホルモンやっているということを男の時には恥ずかしくて言えませんが、女の子同士だっていう言い訳を手に入れたことによって女性の体に触ることができるんだっていう免罪符を手に入れたみたいな勘違いだと思うのです。「だって女の子同士だもんね」みたいな考え方といいましょか…。でも凄く実は性的な興奮ギンギンになっている状態であること、本人に指摘してもきっと否定すると思うのです。
人によっては否定される方もいらっしゃるでしょうね。
みどり子 強く否定されると思いますが、そういったものがオーラとして見え隠れするというのは、私は非常に気持ちが悪いと思います。女性っておそらく意外とそういったことを見破るのが鋭いと思う。
女としての直感といいますか、男性的なそういったエナジーに対しては凄く鋭いものだと思います。アルテミスの女性スタッフでもやはりデリケートな話題をされるのは嫌がりますね。当然私も「これはセクハラでしょ?」と、思ってしまう会話は流石に凹みます。それに、そのような話題をされる場合、本当に女性として春水に聞きたいのか、男性として聞きたいのかはすぐに判断できます。
みどり子 けっこう早い段階で気がついていたりしますでしょ。女の子、女の子といっておきながら、会話が「ただのスケベ親父」的な内容ばかりとなってはタブーですね。話しが最初とちょっとずれてしまいましたが、大切なことはまずは社会性を意識すること。どんな小さな社会でもいいから社会性を失わないでほしい。
例えば女装バーには女装バーの社会というように。あなたひとりじゃないんですよ。そこには、いろんな方がいらっしゃるんです。同じようにお客さんとしてみんなが来ているのだから、そこで解放されてひとりで発狂するっていう言い方ちょっと申し訳ないけど、羽目をはずしすぎる。カラオケにしても、お酒の飲み方にしても、羽目をはずしすぎちゃうっていうようなことが、そもそも女装というと(いろんな束縛から)解放されるので、羽目をはずされるかたはどうしても多いんですよ。男の時にはやらないようなこととか、できないようなことを平気でやっちゃうみたいなね。要するに男の時にはやっぱり男としての看板掲げて、それこそ○○商事の何の誰ベーみたいな看板があったり、奥様や子供さんがいたり、例えばそこで何か事件なんか起こそうものなら、そういった今まで積み上げてきたものが全部ドンといっちゃうわけじゃないですか。
でも、女装して別のキャラクターを手に入れるとそのあたりの関連性というか関係性が全部断ち切れて、私は何の誰ベーではなくてあくまでも何の誰子ですということに解放されてしまう。そこまでは解放されるためにしているのであればそれでいいと思います。ただし、その行為によって、周りが見えなくなってしまうのは良くないだろうなって思います。
そうですね。
みどり子 ご自身のプライベートも大切にされたいのであれば、女装していても社会性は失わないように行動をしてもらいたいものです。
男性時に問題が起こったときも深刻ですが、確かに女装の時に起こすほうがある意味より危ないことだと思います。同じように崩れていくのであっても、「あの人は女装してあんなことしちゃった人よ」とプラスαまで追加されるわけですから…。
みどり子 お酒の飲み方にしても何にしても、男の時でも女装している時でもあまり行動が変わらないのであれば、そういうキャラクターなんだなということでそれは納得できるのです。女装した途端に何か免罪符というか…
人が変わってしまう?
みどり子 そうそう。何か強い何かを手に入れたようになって羽目をはずしすぎるのはお止めになったほうがよいのだと思いますね。

次回は【ポリシーのある女性らしさ】のお話です

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