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2.笑顔の配達人

今の私しか知らない人に、過去の私はどんな人間だったかを言うと大変驚かれます。傲慢・自信家・独り善がり。この言葉が全て当てはまる女性でした。こんな性格だからこそ、友達も少なかったですし、友達なんて要らないとまで言っていたくらいです。今からでは想像できません。そんな私に友達の大切さ、誰かのために生きることの素晴らしさを教えてくれたのは女装です。

美術系大学の合格倍率は有名一般大学や医学系の大学と同じくらい、いやそれ以上のものすごい競争倍率です。実力が全ての競争世界。東京の有名美大しか考えていなかった私は、中学から高校、美術系大学予備校と10年以上ひたすら絵画技術に磨きをかけていました。日本画の予備校は静物画や人物画を勉強するのですが、モチーフを選ぶ際も人物を描く際の場所取りも強引にやらないと負けます。成績上位なるためにがむしゃらに勉強する毎日で目がギラギラしていました。大学入試の時期になると周りの生徒は全て敵、予備校の空気は険悪でした。極度のストレスで何回も倒れ、この時期は毎年体重が5キロ以上減りました。多くの学生は大学に合格する事が目的でその先を考えていないものです。私もその一人でした。念願の多摩美術大学に合格したのはいいものの、漠然と画家になる事を夢見ていましたが、世の中、そう甘くありません。特に日本画ともなると就職先はまずありません。絵画展に入選するための絵を描き始めたのですが、やはり気持ちは予備校時代と同じでした。入選するための絵を描く。どんなに難しい展覧会に入選しても喜びはあまり感じられませんでした。何かが違う・・・大学を目指す前、子供の頃に夢見ていた美を作り出す喜びがまったくなくなっていました。

そんな頃に想いだしたのが、幼稚園時代に両親の似顔絵を先生が誉めてくださったときの喜び、嬉しい感情が、将来絵描きになろうと決めたきっかけだったということです。そして私はお台場や各地のイベント会場で似顔絵描きをはじめ、ある日ボランティアで老人ホームに行った際にAさんと知り合いました。(詳しくはアルテミスHPコラム「初仕事」をお読みください)Aさんは私がはじめてあった女装子さんです。それまでは自分の顔でさえメイクをしたことがなかった私がAさんのためにメイクを勉強しはじめました。メイクの勉強をすると共にAさんのように女装をしたくてもする事が出来ない環境にいる方がたくさんいるのではないかと思うようになり、もっと多くの方に役立つためにはどうしたらよいのかを考えるようになりました。女装子さんに積極的にお会いしてお話を伺い、女装に関わるあらゆる分野に興味をもち、研究をはじめました。女装が私の人生を大きく変えました。

あれから6年、今ではたくさんの人に囲まれて私は生きています。これからもたくさんの人に出会う事でしょう。共に話す中で得るものは必ずあるはずです。そして、今私の周りで応援してくれる全ての方々のお話も貴重な体験であり、もっと多くの方の笑顔を作るための経験になっていくのだと思います。

誰かが喜ぶために美を作る。私の命が力尽きるその時に、「これだけたくさんの方に笑顔をプレゼントしてきたのよ!」と誇りをもっていえるように、今を力いっぱい生きるのです。